なぜ「日本国」のみがダメだと言うの?

「家族を大切にしましょう」はOK、「友達を大切にしましょう」はOK、「地域の人々と仲良くしましょう」はOK、「郷土・故郷を大切にしましょう」はOK、「隣国と仲良くしましょう」はOK、「地球人類みな兄弟、ビバ友愛精神!」はOK、「自然や生物を大切にしましょう」はOK。

日本において、自分以外の何か・何者かを大切にする、愛するということは、およそほとんど全てについてが社会的正義であり、そのことを親や教師が子供に教えることは普通のことで、積極的に啓蒙すべき価値観とされ、実際そのように教育されている。

ところが、一部の人々の中では、この価値観に特別な例外が存在する。例外とは、国家・国歌・国旗だ。もっと正確に言うと、「日本国・君が代・日の丸」のことで、要するに日本限定である。いったい、この特別扱いは、いかなる論理的理由によるものか。

厚生労働省は、「保育所保育指針案」に保育所で「国歌・国旗に親しむ」ことを盛り込んだ。単なる指針なので強制力は無いし、特段異を唱えるべき改定とも思えないが、人権パヨクの皆様は「国」というワードに敏感に反応し批判の声を上げた。

たとえば、民進党の山尾ガソリーヌ前政調会長は、「子供が社会に愛され社会に育まれていく。そういう環境を作ることで、子供の心に押し付けではない自然に社会を愛する、自分の生まれ育った国を愛する意識が芽生えていく。これが順番だ」と主張した。

思想の押し付け、思想の強制、反対派の常套句だ。しかし、この理由は論理的に破綻している。これが成立するのなら、冒頭に挙げた全てが規制される。ガキが花を踏みにじっても、ニャンコを蹴飛ばしても、「ダメ!」と教育することが許されなくなる。

人権派の皆様が「全部ダメ!」と言うなら納得するが、「日本国」のみがダメだと言うのは理解不能だ。素朴な疑問、本当になぜ?。

民進党だって、選挙になれば「○○候補をお願いします!」、「民進党をご支援ください!」と絶叫するだろう。これだって、同じ理屈で考えれば思想の強制に他ならないわけで、「有権者の自然に生まれた意識」に投票先を委ねるべきではないのか。

国は重要だ。日本人にとって、国の存在は空気のように当たり前すぎて、その重要性に気がつきにくい。しかし、国を持たないことによる不利益・受けられない恩恵の大きさ、国を失うことによる悲惨な現実は、少し世界に目を向ければ分かることだ。

我々は、子供に教えるべきことを教えねばならない。それは、「思想的強制」などではなく、日本に生きる大人としての責任及び義務だ。聡明なる人権パヨク様らが行う、理屈も道理も欠いた愛国批判こそ、思想的強制と呼ぶに相応しいのではないか。

http://norisu415.blog.fc2.com/blog-entry-2623.html

-----------------------------

本当に、不思議だな~

---------------

論理が破綻してるわ

-----------------