政治主導の弊害?

知名度があれば、選挙に通る政治家。

何の知識も教養もなくても、政治家にはなれる。

親が政治家であったり、大金持ちであってもなれる。

逆に、志が高くても、貧乏だったり、知名度がないとなれない。

しかし、官僚は、誰でもなれる。

試験という極めて平等なものだ。

人徳に問題が・・ということもない訳ではないだろう。

しかし、そんな人徳などを試験できるはずがないであろう。

必ず主観が入るものであり、コネやツテの温床になるものだ。

最も平等なのが試験だろう。

金持ちも、親の職業も、コネもツテも関係ない。

政治家にも、官僚にも、善い人もいれば、悪い人もいるだろう。

その比率は・・?

官僚に脱税できるような人がいるものか?
官僚にお母さんから月5000万もらって知らないというような人がいるものか?

天下りで甘い汁を吸っている人もいるかもしれないが、
根性の腐った人間はどんな世の中になろうと、いるものだ。
政治家であれ、官僚であれ、医者であれ、教師であれ・・

それなのに官僚の天下りや、官僚さえ良くなれば、日本が良くなるような錯覚を起させる報道。

政治家が主導するようになって、このテイタラク

しかも、薄気味悪い民主党集団。

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政治主導の弊害?
2010年03月05日09時53分 / 提供:山内康一の「蟷螂(とうろう)の斧」

民主党政権においては「政治主導イコール善」という図式が、無前提に正義とされているように思えてなりません。私も「官僚主導ではダメで政治主導が重要だ」と唱えてきましたが、何でもかんでも政治主導だったらいいというものでもありません。

かつてJICA職員だったころ「マル政案件」という言葉がありました。これは「有力政治家がらみの断れない案件」みたいなものでした。現地政府からの要請や現場のニーズから、かけ離れた案件が多く、ピント外れの援助プロジェクトの多くは「マル政」でした。

また麻生政権時代に批判され「国営マンガ喫茶」と揶揄された案件も、自民党文教族主導の案件であり、文部官僚は後ろ向きでした。文部科学省の担当官からすれば、いい迷惑だったと思います。

誤った政治主導よりは、官僚主導の方がマシというケースは実際あります。民主党政権がまっとうな「政治主導」を確立してくれないと、「やっぱり官僚にまかせた方がいい」ということになりかねません。民主党政権は、党の政調を廃止し、政府に政策立案機能を一元化しました。自民党政権時代の「法案の事前審査」はなくなりました。これは、党の事前審査を通らないと、内閣は法案を提出できない、という慣習です。

自民党時代の党の事前審査は、省庁別の部会やその上部機関の総務会で行われ、党内の活発な議論と詳細な審査を経て法案が修正されます。党の事前審査を経た段階で、だいたいの論点は出し尽くされ、骨格が定まります。事前審査を経た法案には、生煮えの法案などあまりありませんでした。

しかし、今国会に提出される法案について役所や衆議院調査局に照会しても、法案の中身が生煮えでろくな資料が出てこないことが多いです。民主党政権になって政調がなく、事前審査がないため、生煮え法案だらけです。そんな基礎的な資料もないのか、とびっくりするような法案もあります。

国会対策委員長としては、法案の採否に関して方針を決めなくてはいけません。浅尾慶一郎政調会長と相談しながら法案対応を協議していますが、要求した資料がなかなか出てこないので、対応を検討する材料がありません。

政党による法案の事前審査がなくなると、国会に出てくる前段階の議論がなくなり、法案の内容は生煮えになってきます。生煮えの法案でも、ちゃんと国会の委員会で議論して修正すればいいのですが、民主党政権は強引に国会審議を進めるので、修正なしで強引に採決します。これでは「政策の質」は自公政権時代より低くなってもおかしくありません。

こんな調子で国会運営、政権運営をしていたら、民主党政権はもたないでしょう。いまは「政治とカネ」の問題にマスコミや国民の目が集まっていますが、具体的な政策の中身に目がいくようになったら、目も当てられない状況に、多くの国民が気づくようになるでしょう。