そのことをちゃんと教えない教科書や学者達

しかしながら、どんなに努力しても、事件や事故は起きるものです。
ならば、交通事故のヒヤリハットではないですが、その事件や事故が大きくならないうちに、先に察して手を打っていくことが大事なことは、ごくあたりまえのことです。
なぜなら、大きな事件や事故が起き、誰かが怪我をしたり死んだりしてからでは取り返しがつかないからです。

だからこそ、そうした事件や事故を徹底して予防する。
まだ小さな徴候のうちに、先に手を打っていく。
それが統治のための根幹になります。
少し考えたら、誰にだってわかる、あたりまえのことです。

そしてそのために必要な能力が、「察する力」です。
これを昔は「明察功過(めいさつこうか)」と呼びました。
良いこと(功)も、あやまち(過)も、先に明らかに察して、手を打っていくことを言います。
私が作った言葉ではありません。
いまから千四百年も前に書かれた聖徳太子の十七条憲法第11条に書かれている言葉です。

十七条憲法は、第一条から第一七条まで、そのほとんどは「和をもって貴しとなせ」というような心がけが書かれているのですが、この第十一条だけは、心がけではどうにもなりません。
察する力は、訓練しなければ身につかないからです。
だから昔の人は和歌をやりました。
和歌は察することを極限の芸術にまで高めた文学だからです。

そうして察する力を身に付けた人たちは、統治にあたっても、ですからたとえば、強盗や強姦などの凶悪犯を起こしそうな者は、起こす前に目を付けてマークし、マークしていることを、本人やその周囲にも知らせました。
その役目を持つ役人が「御目付」です。
非常にわかりやすい名前です。
そして御目付に目を付けられたら、ほんの些細な出来事でも、逮捕されるし拘禁されるし、処罰されました。

もちろんなかには冤罪もあったかもしれません。
けれど、たとえば殺人犯となってからの冤罪と、ちょっと口論した程度の冤罪では、その影響度が異なります。
人が人を処罰するのです。
間違いもある。あたりまえのことです。
けれど、そうであるなら、欧風化した現代社会のように、重大事件が起きてからでなければ警察が動けない社会より、起きそうだ、起こすかもしれない程度で、処罰された方が、捕まえる方も捕まる側も、被害を受ける側も、全員が被害が些少です。

今の世の中では、道路交通法に関する事犯だけが、軽微なところから取り締まりがおこなれます。
けれど本来は、他の刑法事犯について、こうしたことが行われるべきことです。
そして一方では、道路交通法違反でも、暴走行為のような多くの人が迷惑することに対しては、現実には警察はなかなか動けません。
これまた現代社会のひずみです。
江戸時代なら、それこそ斬捨御免の火付盗賊改方の出番になる事犯だからです。

いまの世界では、議会制民主主義と法治主義の併用こそが、あたかも人類至高の体制であるとされています。
しかし、選挙によって統治者を選んだとしても、その統治者が最近どこかの都であったように不法な手段を用いてその地位を得たり、あるいは統治者となった途端専横政治のようなものをはじめて自己の利益を図るようになれば、結果として民衆は不幸です。

そしてそのような悪辣な者に限って、民意さえも操作しようとします。
民の求める希望は常に多様ですが、その多様性を悪用して、民意をあおるわけです。
そしてどの民意を採り上げるかによって、施政は180度違ったものになります。
つまり選挙制民主主義は、実はとっても不安定なものです。

なぜ不安定になるかといえば、施政者が結果として「権力」と「権威」の両方を持つからです。
日本は、古代からこれを否定してきました。
古代の日本人は「権力」と「権威」を分けたのです。
権威は万世一系天皇です。権力者の地位はその天皇の権威によって与えられ、民衆はその天皇から「おおみたから」とされています。

ですから権力者にとって、民衆は「自分に権力を与えてくれた人のもの」なのであって、「自分のもの」ではありません。
これによって日本は、民衆を私的に支配するという世界中であたりまえのように、いまでも行われている統治方法を、大きく超越することができたのです。
日本人の知恵はすごいと思います。

事件が多い荒れた国は、火災の多い国にたとえることができます。
火災が多い地域の消防署は大活躍です。
消防士たちは、地元のヒーローです。
ですが人々が本当に求めているのは、火災が起こらない街です。

火災が起こらないようにするためには、日頃からの予防が大切です。
また万一火災が発生した場合でも、それがボヤのうちに完全に完璧に消し止められること。
そして放火のような不埒なことをしでかす馬鹿者が出ないようにすることが大事です。
つまり、事件や事故が起こる前に、事前に察して対策をきちんととっておく、ということが大切なのです。

昔の日本では、「よそ者」という言い方が一般的でした。
よそから来た人は、地元でもなかなか信用されないで、地元の人達からものすごく警戒されました。
このことは、「因習が深い、住みにくい」と戦後はものすごく批判されたものですが、けれどもよくよく考えてみれば、同一地域内で、誰もが互いによく知った仲間たちであるということは、そういう地域では、犯罪など起こし得ないし、それこそ「玄関の鍵も、縁側の窓も開けっ放しで夜寝ていても、なんの心配もない」郷土が実現できていたわけです。

そして他国に出た者が、その他国で何か失敗すれば、それは郷土の恥さらしとなりました。
自分が失敗してつらい思いをするだけでなく、郷土にいる親兄弟にまで肩身の狭い思いをさせてしまうことになる。
そのことは「人はまっとうに生きなければならない」という修身の教えとあいまって、日本の社会から悲惨な事件や事故を防ぐ、おおきな鎹(かすがい)となっていたものです。

これは加瀬英明先生がよくご講演でお話されることですが、江戸の享保年間(徳川将軍吉宗の時代)は20年続きますが、この20年に江戸の小伝馬町の牢屋に収監された囚人の数はゼロ人でした。
犯罪を犯す者が誰もいなかったのです。

では、誰も犯罪をおかさなかったのは何故なのでしょうか。
法治主義だったからでしょうか。
そればかりではないと思います。
民度が高かったのです。

なぜ民度が高かったのかといえば、シラス国(知国)だからです。
シラス国では、その仕組を、皇臣民の全てが、その意味と意義をしっかかりと理解する必要があります。
それが社会常識になっていなければならないのです。
そして、これを社会常識にするためには、民にそれなりの教養と教育がなされなければなりません。
これが、日本が近世において、世界一識字率が高かった理由です。

いまの日本はどうでしょう。
悲惨な事故や事件が毎日報道されています。
けれど、そういうことが起こらないようにするための手は、何か打たれているのでしょうか。
手を打っているのは、せいぜい交通取り締まりのシートベルト着用違反くらいなのではないでしょうか。
これでは犯罪はなくなりません。

まったく報道されませんが、昨今、若い女性を狙った連続強姦魔事件が多発しているのだそうです。
けれども、事件になるのは、百件以上もの強姦を働いた犯人でさえ、立件されるのは、せいぜい3〜5件の強姦犯としてです。
被害者の女性たちが泣き寝入りし、被害届に応じないからです。

被害が現実に発生していながら、被害が発生し、多くの女性達が辛い思いをしているという現実がありながら、あくまでも被害が起き、被害届が出されてからでなければ、犯人の処罰ができない。
事件の発生を防ぐことができない。
それでいて「法治主義」というものが、そんなに素晴らしい近代的な進化した制度と、果たしていえるのでしょうか。

飛鳥、奈良、平安の時代というのは、500年続いた貴族政治の時代です。
ちょっと補足しますが、日本は古代から現在にいたるまで、そして未来までもずっと天皇の国です。
そして天皇は、政治の中心者ではなくて、政治を行うものに政治権力を揮うための権威を授ける、政治権力よりも上位の存在です。

ですから、飛鳥、奈良、平安の時代を天皇の世紀と呼ぶのは間違っています。
天皇の世紀というならば、日本は、太古の昔からずっと天皇の世紀であり、飛鳥、奈良、平安の時代は、その天皇のもとで世襲の貴族たちが政権を担った時代、というのが正確な表現です。

その貴族の時代、やはり日本はずっと平和なままでした。
左前に偏った教科書などでは、貴族たちは毎日豪勢な食事をし、一般の庶民は貧困のどん底にあったなどと書かれていますが、もしそうであったのなら、その一般庶民が学問を修め、万葉集に載るような素晴らしい和歌を詠むなんてことはできません。
それにそもそも、「平安以来の伝統的貴族料理」なんてものも、日本には存在しません。
昔も今も、日本食における最高の美味いものは、魚であれば漁師さん、農産物であれば農家のみなさんが調理する雑多な鍋であり、炉端焼きであり、海鮮料理です。

日本では、いちばん美味しいものは、常に「新鮮なもの」です。
そして新鮮なものは、常に生産者が食べてきました。
そうなったのは、日本の施政者がそれだけ食べ物の生産者をたいせつにしてきたからです。
その施政者にとって、生産者は天皇の「おおみたから」です。
そして施政者は、天皇によって任じられるものです。
これが「シラス国」であり、もとからある日本のカタチです。

3世紀末の魏志倭人伝や、8世紀の令集解(りょうのしゅうげ)には、当時の日本(仏教伝来前)では、人々が新米ができると、これを神社に奉納し、神社はその奉納米を非常食として保存するとともに、種籾(たねもみ)として、苗を育てて、田植えの際に、その苗を農家に配っていたことなどが描写されています。

いいかえれば神社の宮司さんたちは、人々の上に立つ存在だったわけですけれど、その宮司さんは、新米を奉納してもらっていながら、代々新米を口にしません。
しないというより、できません。
なぜなら、新米は種籾や非常食として保存しなければならず、ですから古い奉納米からしか自分たちの食卓に出せないからです。
このことは、2千年前の大昔も、現代も同じです。
ずっとずっとそうなのです。

このことは、神社の中の神社といわれる大社においてさえ、同じです。
自分たちはもっとも古い「古米」から消費し、いちばんおいしい新米は、来年のために、人々のためにとっておく。
それが日本の「上に立つ者」の姿勢です。

武士も同じです。
城に集められた年貢は、常備米として城に保管します。
そして武士たちには、その俸禄高に応じてお米が給料として支給されましたが、毎年秋に支給されるお米は、城に保管してあった古米からです。
お百姓さんや町人たちは、備蓄がないから新米を食べますが、食料難に責任を持つ施政者は、常に非常時用に年貢米を保管していなければならず、ですから古いお米から食べて消費していたのです。
それが日本です。

そのことをちゃんと教えない教科書や学者は、申し訳ないが、はっきりいってバカです。
できてまだ200年そこそこの、西洋の共産主義史観である階級闘争史観に縛られ、日本的価値観を見失った哀れな曲学阿世の徒です。

権力のある者が、率先して地味に暮らし質素にし、自分が美味しいものを食べたり贅沢をすることよりも、民が安心してご飯をお腹いっぱい食べれるようにする。
それが人の上に立つものの、あるべき姿とされてきたのが日本です。

そして、こういうことが実現されるためには、万一の場合の備えをちゃんとしようという、ひとことでいえば、万一の場合を常に想定できるだけの「察する力」が根底になければなりません。
殺人や強姦や放火事件が起きてから処罰のためにオロオロするのは、バカの仕事です。
それを近代的なんとか主義といって自慢気に胸を張るなら、ただの世間知らずの子供です。

事件や事故が起こらないようにする。
万一のために日頃から襟をただして、ちゃんと備える。
それができるのは、誰もが「察する力」を持っている社会だからです。

より一部引用

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