やたらと「キーワード」を振りかざすメディアや野党の姿は異様で、どこか病的なものすら感じる

安倍晋三首相が22日のアジア・アフリカ会議バンドン会議)の演説で「おわび」に触れなかったところ、案の定、産経新聞毎日新聞を除く在京各紙は23日付社説で次のように一斉に批判した。

 「『植民地支配と侵略』『おわび』を避けては通れない」(朝日)
東亜日報 東京都中央区築地5-3-2
ニューヨークタイムズ東京支局 東京都中央区築地5-3-2
朝日新聞東京本社 東京都中央区築地5-3-2


 「物足りなかったのは、首相の歴史認識への言及である」(読売)
韓国日報 東京都千代田区大手町1-7-1 8F
読売新聞東京本社 東京都千代田区大手町1-7-1



 「玉虫色の表現は国内では通用しても、外国人にわかってもらえるだろうか」(日経)



 「植民地支配と侵略への反省とおわびは、外交の基盤である歴史認識の根幹だ」(東京)
大韓毎日 東京都港区港南2-3-13 4F
東京新聞 東京都港区港南2-3-13




 メディアの多くは安倍首相が29日に米上下両院合同会議で行う演説や、今夏の戦後70年談話でもこうした歴史認識をめぐる「キーワード」の盛り込みを求めている。

 安全保障分野などで産経と問題意識が近いことの多い読売は、22日付社説でもこう書いていた。

 「戦後日本が侵略の非を認めたところから出発した、という歴史認識を抜きにして、この70年を総括することはできまい」

 だが、国内のこうした内向きな議論と同様に、世界各国は本当に日本が謝り続けることを求めているのだろうか。

 バンドン会議では、安倍首相と中国の習近平国家主席の2度目の会談が実現し、両氏は笑顔で握手を交わした。これは、「おわび」に言及しなかった安倍首相の演説の後のことである。

 米調査機関「ピュー・リサーチ・センター」が7日に発表した世論調査では、61%の米国民が日本の謝罪を「不要」と答え、「不十分」は半分以下の29%だった。


 執拗(しつよう)に「おわび」にこだわっているのは、実は韓国と日本のメディアだけではないのかという疑問が残る。少なくとも、メディアが強調する「キーワード」に特別意味はなさそうだ。

 実際、安倍首相は昨年7月にオーストラリアの国会で行った演説でも、外務省案にあった先の大戦にかかわる「謝罪」という言葉は採用しなかった。その代わり、このように語った。

 「何人の、将来あるオーストラリアの若者が命を落としたか。生き残った人々が、戦後長く、苦痛の記憶を抱え、どれほど苦しんだか。(中略)私はここに、日本国と、日本国民を代表し、心中からなる、哀悼の誠をささげます」

 安倍首相は「おわび」はしなかったが、大きな拍手を受け、多くの議員らに握手を求められた。大切なのは特定の「キーワード」などではなく、演説に込められた理念であり、共感を呼ぶ内容だろう。

 その後の共同記者会見で、アボット首相はこう訴えもした。

 「日本にフェア・ゴー(豪州の公平精神)を与えてください。日本は今日の行動で判断されるべきだ。70年前の行動で判断されるべきではない。日本は戦後ずっと模範的な国際市民であり、法の支配の下で行動をとってきた」

 ちなみに安倍首相の祖父、岸信介首相(当時)が昭和33年6月に米下院で行った演説は、戦争終結からまだ13年もたっていないにもかかわらず、戦前・戦中には何も触れていない。

 もちろん、「植民地支配と侵略」などの「キーワード」もなく、主に日本がなぜ民主主義を選んだかが説かれている。そして岸氏の演説は何度も拍手に包まれた。

 それから半世紀以上もたつのに過去に固執し、やたらと「キーワード」を振りかざすメディアや野党の姿は異様だ。退嬰(たいえい)的かつ非生産的であり、どこか病的なものすら感じる。(あびる るい)」