マッカーサー「私は、初めて神の如き帝王を見た」と述べた

赤峰 ここは重要な論点になりますので、長いですが「昭和天皇を心から尊敬し讃えたマッカーサー」から引用いたします。日本人として生きるとき、日本人の心の奥底に刻まねばならない重大な場面だからです。http://www.nipponnosekaiichi.com/admiration/mcarthur.html

マッカーサーに会った昭和天皇は、こう語ったと伝えられています。

「私は、日本の戦争遂行に伴ういかなることにも、また事件にも全責任をとります。また私は日本の名においてなされたすべての軍事指揮官、軍人および政治家の行為に対しても直接に責任を負います。自分自身の運命について貴下の判断が如何様のものであろうとも、それは自分には問題ではない。構わずに総ての事を進めていただきたい。私は全責任を負います」

この言葉に、マッカーサーは驚いた。彼は、昭和天皇が命乞いにくるのだろうと考えていたからだ。
自らの命と引き換えに、自国民を救おうとした国王が、世界の歴史上あっただろうか。
マッカーサーはこの時の感動を、『回想記』にこう記している。

「私は大きい感動にゆすぶられた。死をともなうほどの責任、それも私の知り尽くしている諸事実に照らして、明らかに、天皇に帰すべきではない責任までも引受けようとされた。この勇気に満ちた態度に、私の骨の髄までもゆり動かされた。私はその瞬間、私の眼前にいる天皇が、個人の資格においても日本における最高の紳士である、と思った」

この時マッカーサーは、次のように返答したという。

かつて、戦い敗れた国の元首で、このような言葉を述べられたことは、世界の歴史にも前例のないことと思う。私は陛下に感謝申したい。占領軍の進駐が事なく終ったのも、日本軍の復員が順調に進行しているのも、これ総て陛下のお力添えである。これからの占領政策の遂行にも、陛下のお力を乞わねばならぬことは多い。どうか、よろしくお願い致したい」(藤田侍従長による『侍従長の回想』)

マッカーサーは、立ち上がって昭和天皇の前へ進み、抱きつかんばかりに天皇の手を握りしめて、「私は、初めて神の如き帝王を見た」と述べた。

わずか37分間の会見で、マッカーサー昭和天皇に対する態度は、まったく変わっていた。会見前は傲然とふん反りかえっているよな態度をとっていたマッカーサーが、会見後には昭和天皇のやや斜め後ろを歩くような敬虔で柔和な態度で、会場から出て来たという。

会見後、マッカーサーは予定を変更して、自ら昭和天皇を玄関まで見送った。

当時、ソ連アメリカ本国は「天皇を処刑すべきだ」と主張していたが、昭和天皇の態度に感動したマッカーサーは、これらの意見を退けて、自ら天皇助命の先頭に立った。



横井 これを読んで涙しない日本人はいないでしょう、昭和天皇のご英断のおかげで、大東亜戦争終結し、また、マッカーサーとの会見で、マッカーサーは食料事情が悪く飢餓に苦しむ日本に対しての「ガリオア・エロア基金(※1)」援助を決意したといわれています。私たち、日本人がこうして生きていけるのも、昭和天皇に二度までも救っていただいているということは忘れてはなりません。

(※1)ガリオア基金はGovernment Appropriation for Relief in Occupied Area Fund (占領地域救済政府基金)の、エロア基金はEconomic Rehabilitation in Occupied Area Fund(占領地域経済復興基金)の略称で、ともに、米国が第二次世界大戦後の占領地域において、社会生活の困難を救うために、軍事予算の中から支出した援助資金。

藤原 マッカーサー昭和天皇との会見で、天皇と国民が一体であるとの日本の精神風土に驚いたといわれていますし、また、天皇制解体には手をつけてはならないと認識したようです。マッカーサー自身、昭和天皇のご器量が「二〇個師団の軍隊に匹敵する力をもっている」と認識していたといわれていますので。

横井 したがって、当初は「天皇制解体」、「昭和天皇の処刑」を考えていた民政局(GS)も路線の修正を余儀なくされて、「天皇制は存続させる」が「政治には関与させない」という方針に転換したようです。

ただし、民政局(GS)も日本の天皇制の意味をよく勉強していたと思われます。天皇の本質が祭祀にあり、「国安かれ、民安かれ」との神々へのお祈りが、天皇と日本人を結ぶ「絆」であり、それが日本人の精神力の強靭さの根源であることを見抜いて、「神道指令」(※2)を発し、次には、昭和天皇に対して「天皇人間宣言」(※3)を発することを求めています。

(※2)1945年(昭和20年)12月15日、GHQは、国家が神道を支援・監督・普及することを禁止する「指令」を発した。しかし、天皇が皇居で執り行う宗教儀式(宮中祭祀)は私的な事柄とされて、禁じられなかった。

(※3)1946年1月1日に官報により発布された昭和天皇詔書の通称である。この中で天皇の神格を否定した部分があるのでこの名がある。「人間宣言」という名称は当時のマスコミや出版社が付けたもので、「人間」、「宣言」という文言は当詔書内には一切ない。
なお、この証書では「天皇が神である」ことが否定された。しかし、天皇と日本国民の祖先が日本神話の神であることは否定していない。


藤原 ここまで見ましても、GHQは日本人が二度と立ち上がれないようにするため、日本人の精神の核になる部分に手をつけたという理解でよろしいですかね。そして、本来ならば、天皇制の解体ということが最大の焦点であったのに、マッカーサー昭和天皇のお人柄に感動してしまって、天皇制擁護の方に回ってしまった。したがって、GHQは、当初の天皇制解体という目的と、天皇制擁護という方針転換の狭間で、天皇の神格性と政治性は否定するが、文化的な、統合の象徴的な存在は認めるという妥協点を見出して、この思想が、日本国憲法の起草につながっていったのだと考えられます。

http://blog.goo.ne.jp/akaminekazu
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胸に迫るものがある・。
日本を守った祖先は、みんなそうだったのではなかろうか。
 
>かつて、戦い敗れた国の元首で、このような言葉を述べられたことは、世界の歴史にも前例のないことと思う
 
これにも驚く。
世界のリーダーは、命乞いをするのだろうか。
国民じゃなくて、自分の。
 
そうだよね。
 
人間だもの・・・