【なぜ虐待死は防げないのか】(2)そのとき児相は 20年間で虐待38倍、職員は2倍

大人も子供も、我慢することができなくなっている。

しなくてもいい世の中になってきているのだ。

便利で、快適で、我慢しなくても生きていけるようになったといのは、
ある意味、すごいことかも・・。

もちろん、良いことばかりではなかったのだが・。

決して、我慢する辛い時代に戻りたいとは誰も思わないだろう。

傲慢になるほど、享楽を謳歌しているかもしれない。

その反面、苦しい時代に現代ほどの自殺者はいなかったかもしれない。

村八分などはあっただろうし、ニュースにならない残酷な犯罪もあったであろう。

親が子を売ってお金にすることもあったであろう。

そんな時代と比べたら、何と幸せな時代だろうか。

でも、虐待をする親は、決して幸せな時代だとは思わないだろう。

「自分の好きなことが出来ない=不幸・耐え難い」ことなのだろう。

一方で「好きなことをして成功をする」という考えも人気だ。

好きなことを伸ばしていけばいい。個性を伸ばしていけばいい。

これは、実は社会全体から見ると危険な考えかもしれない。

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【なぜ虐待死は防げないのか】(2)そのとき児相は 20年間で虐待38倍、職員は2倍…「最後の砦」対応に限界 (1/3ページ)
2010.7.21 18:00

このニュースのトピックス:児童虐待を考える
 私を助けてくれる最後の場所だ。そう信じて受話器を握りしめていた。神奈川県に住むパート社員、永野美穂さん(24)=仮名=は小学6年のとき、友達の家から児童相談所へ電話で自ら通告(通報)した。実父からの虐待に耐えかねてのSOSだった。

 実母がDV(配偶者間暴力)を受けた末に家出し、酒乱の父に毎日殴られた。「お前は弟のお姉ちゃんであり、お母さんであり、おれの奥さんでもある」と夜中も家事をさせられた。電話口で「保護してもらえませんか」と訴えると、男性の声はこう言った。

 「お父さんからも話を聞かないと…。もう一度話し合うことはできませんか」

 中学3年から家出を繰り返し、卒業直前、警察に保護され児童相談所へ連れて来られた。その2年前の平成12年に児童虐待防止法が施行されていたが、女性職員の対応は次のようなものだった。

 「施設に空きがないので入れません。家出を繰り返していて、施設で過ごせるの」「18歳まであと2~3年、がまんできないの」

 がまんしろ。「そう聞いて、もう何も話せなくなった」。面接室のドアを開けると、呼び出された父の姿が見えた。ぞっとして、ヒールを脱ぎ裸足(はだし)で駅の方角へ駆けた。