国母選手批判が日本のイメージを悪化させている(国母選手頑張れ!)

日本の美意識に反する服装というものがあるのですよ。

文化の違う外国人には理解できないことでしょう。

どんな服装であれ、自己表現することをよしとする国もあれば、

公式の場でギョっとするような服装に違和感を覚える国もあるのです。

だからと言って、出場停止にすることはあり得ないし・・

アメリカのニュースになるような話ではないでしょうに・・
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国母選手批判が日本のイメージを悪化させている(国母選手頑張れ!)
2010年02月18日00時37分 / 提供:Nothing Ventured, Nothing Gained.

先日、下らなすぎるから、この話題はもう話さないと決めたのだが、日本での国母選手への日本での批判が海外メディアで、日本の「異常さ」が取り上げられ始めたので、簡単に警鐘を鳴らす意味でこの問題に触れておく。

前にも言ったように、この問題について、河野太郎氏が公式HPでよく批評しているので、まだ見ていない方は読んでもらいたい。

結論から言えば、はっきり言って、国母選手への批判は、著しく下らない。

川端文科大臣など政治家ともあろうものが国会でこの問題につき、大衆迎合的に、批判意見を述べたようであるが、そうした立場にある者がかかる批判をすることが、国際社会における日本の異常性を際立たせ、日本の評判を落とすことに気がつかないのであろうか。

服装が悪い、メディアへの態度が悪いというが、服装は価値観の最たるものであり、表現の自由における自己実現の価値が認められるものである。河野太郎議員の言葉を借りれば、「価値観とルール」は違うわけである。

多様な価値観があるのが民主主義の前提であり、価値の押しつけは、民主主義国家では許されるべきではない。

以下にあるJ-CASTニュースの伝えるところによれば、アメリカのヤフー利用者の反応は、「これがニュースなの?」「服装とか髪型とか、一体誰が気にするんだ」というものらしい。

このようなアメリカ人の反応は、極めてまともなものであり、他方、国母選手へのメディア、ネット、抗議の電話をかけている人々の反応は、はっきり言って、馬鹿馬鹿しいし、日本の民度を失墜させ、日本の国際的評判を貶めていると言っても過言ではない。

国母選手の服装が日本代表としてふさわしくないというのであれば、下らない問題で騒ぎ立てる人々の方がよっぽど日本の価値を貶めており、日本が異常な国だという印象を世界に発信しているも同然であるということ自覚しているのかと問いたい。

私がこの問題を取り上げなければと思ったのは、英国のテレグラフ紙をはじめとして、日本の反応が異常だという共通認識の下で、この話題が紹介され始めたからである。

テレグラフ紙の記事に対する、海外の反応を見ていると、「どうにも日本人がなぜ問題視するのか理解できない」、「あの服装がスノーボードというスポーツ界の服装でしょ?」、「日本人は理解できない」など反応が多く、本当に日本人としてこうした話題が取り上げられてしまったことに恥かしさを感じる。

この問題をまさに正面から取り上げた、英語記事のBleacher Reportのダイアン・デリベリー(Dylan Derryberry)氏は、以下のように日本の反応を批判する。
表現の自由を強く支持する者としてこのニュースは非常に興味がある。

五輪の試合が始まるまでメディアは報じるネタが欲しいのかもしれないが、選手がまさに今リンクやスロープへ立ち入ろうとしているときに服装がだらしないもなにもないだろう。

ねえ、日本のジャーナリストたち、服装のことは(流行ファッション雑誌の)ヴォーグ誌に任しておこうよ!

服装は確かに試合の重要な一部かもしれないけど、少し日本人は落ち着ついて、実際のイベントを批評すべきである。

こうした話題がニュースから消え、皆が本当の"プロ"のジャーナリズムを皆が享受できることを望む。


的を得た批評とはまさにこのことではないだろうか。

欧米は概して、服装等については、非常に寛容である。特にアメリカの場合は、異質なものを受け入れる度量の広さこそが、フロンティア精神から受け継がれてきた良き伝統であり、それが国力の原動力でもある。

よく中国や韓国のネットで、有名人等が理不尽なバッシングを受けたというニュースを耳にするが、日本の今回の批判の動きは中国や韓国がバッシングする行為と何ら変わらない。

民度の低さを認めているかのようで非常に恥かしい。

問題は記者会見での対応だという人もいるだろう。

しかし、国母選手はあの服装に一種の誇りや自己実現の価値を持っていたからこそ、あのような服装の着こなしをしていたのであり、「悪いこと」とは思っていなかったはずである。

だとすれば、形式的な謝罪会見を行わせるべく、「謝れ」というJOC等のやり方の方がよっぽどおかしい。

犯罪を犯したわけでもなく、当の本人もプライドを持ってやっていることに対し、別の価値観を押しつけるのでは、まさに、日本は北朝鮮表現の自由が保障されていない中国と何ら変わらないことになってしまう。

むしろ、「なんで価値観を押し付けられて、謝らないといけないんだ」と、反骨精神をもって精一杯の反論をした国母選手の方がよっぽど骨があり、素晴らしいと私は思う。

いずれにしても、一部の人々が下らない価値観の押しつけを行った結果、それが海外からは異常で異質なものであると受け取られ、日本の国際的評判を毀損してしまっていることは残念でならない。

上記のデリベリー記者がいうように、この問題で熱くなっているメディアとそれに乗せられている一部の日本人の方々はもう少し冷静に物事の本質を見極めてほしいものである。

そして、国母選手はこうした試合前の"下らない妨害"に負けずに、頑張ってほしい。

頑張れ国母!