「返還するな!」と怒っている沖縄県民

1990年、沖縄米軍基地のキャンプ・ハンセンについて、名護市に隣接する土地162ヘクタールを返還することで、日米両政府が合意した。まずはさっさと北側の55ヘクタールを返還し、その1年後に残りをまとめて返還する計画だった。

ところが、返還計画は遅れに遅れ、先日になってようやく55ヘクタールの返還実行が決まった。この返還に沖縄メディアら反基地派は激怒している。彼らのお怒りの理由は「返還が遅すぎたから」ではない。「返還するな!」と怒っている(笑)。

返還合意以降、当該地域の名護市幸喜区、許田区、喜瀬区は揃って返還延期を求めてきた。返還されたら借地料収入が消滅するからだ。そこで、彼らは「跡地利用やるやる詐欺」で時間稼ぎをした。「計画完成まで返還は待ってね」と。

日米両政府は誠実かつ寛容だったので、地元の意向を尊重して待ち続けた。ひたすら待ち続けた。1999年、もう十分待ったと思い返還しようとしたら、また「跡地利用計画ができるまで待って」と言われた。心優しい政府はさらに5年待った。

しかし、2004年になっても「跡地利用計画は未完成」と延期を要請された。政府の空よりも高く海よりも深い慈悲により、さらに2010年まで猶予が与えられた。だが、2010年になっても「跡地利用計画は未完成」と言い、3地区は延長を求めた。

要するに、名護市の3地区は、最初から跡地利用計画など作成するつもりは無かった。ずるずると借地料をゆすりたかり続けたかった。3地区はそれを隠しておらず、正直に「欲しいです」と言っていた。話をおかしくさせたのは反基地派だ。

借地料を欲しがる地区の存在は、反基地派にとって不都合な事実だった。しかも、3地区の内の許田区と喜瀬区は、「辺野古移設を容認するから返還は延期してください!」とまで言い出していた。これは不都合極まりない!(笑)。

でも、さすがに同朋批判はできない。悪者は常に政府と米軍でなければならない。だから、反基地派は基地に反対しつつ、返還拒否を正当化しつつ、国と基地を批判した。もちろん論理的に破綻してしまうが、そんなことはお構いなしだ。

3地区は、返還より借地料が欲しくて跡地利用計画を作らなかっただけなのに、反基地派は「返還予定地が悪条件だから跡地利用計画が作れないのである。そんな土地を返還するとは酷い嫌がらせだ!」などと言い出した。

そのくせ、沖縄基地負担の常套句、「米軍基地の75%が沖縄に集中」の「75%」には、ちゃっかり返還予定地も含めている。何たる厚顔無恥(笑)。

さらに、彼らは「細切れ返還」なる難癖も生み出した。「返還面積が小さいから跡地利用計画が立てられない。細切れ返還で嫌がらせ!」と主張している。しかし、返還面積は東京ドーム35個分だ。普通、これを「細切れ」とは言うまい。

そもそも、跡地を何に利用するかは決まっていない。「こうしたい」という計画があれば、それに対して広いか狭いか議論出来るわけで、何も決まっていない段階で議論できるわけがなかろうに。

反基地派の難癖はまだある。

今回の先行返還55ヘクタールは、辺野古移設に反対する幸喜区の土地だった。残りの返還は来年で、幸喜区は一足早く借地料収入が途絶える。このことについて、沖縄メディアらは「辺野古反対派へのみせしめだ!」と政府を批判している。

冒頭に書いた経緯のとおり、55ヘクタールの先行返還は1990年の合意事項だ。反基地派は被害者を装い国の無慈悲を批判するが、事実は辺野古移設なんて関係無い。沖縄メディアだって知っているはずで、とことん卑劣な連中である。

反基地派のご都合主義は最低最悪だ。いくつものウソとダブスタが入り交じり、単純な事実が非常に複雑化されてしまっている。反基地派と議論すると言うことは、こういう愚劣なウソやダブスタに一々向き合わねばならないことを意味する。

アホらしい。奴らとの対話なんて完全に時間の無駄、理解する気のない連中のご理解は不要だ。何が「地元意向無視は許されぬ」か。地元の意向はゆすりたかりの継続、それを隠し歪める沖縄メディアは恥を知れ。その汚いペンを折り口を閉じろ。
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土地返せと言うなら分かるけど
返すなって・・・

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事実は小説より奇なり

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