国際法を教えてもらえない日本人

【王の目・王の耳】
余命プロジェクト関係各位 お疲れ様です。
最近の投稿記事で「ペルー大使公邸占拠事件」関連の内容がありました。これらの内容とは直接関連しませんが、昔読んだ本にペルー事件をベースに国際法関連の説明がされているものがありました。
この本は約20年位前に出版されていますが、確かに、最近の海外でのテロ事件等への対応をみていると「人命尊重」(日本など)と「テロには屈しない」(欧米など)の違いがあるように思われます。これらの考え方の違いの理解しておくことは非常に重要と思われます。以下にこの本に記述された気になる部分を抜き出してみました。
(出典:「世紀末・戦争の構造 国際法知らずの日本人へ」)



・また、ペルーの特殊部隊が突入して、ゲリラを全員射殺した。それに対して日本のマスコミは、降伏を許さずに射殺したのは国際法違反だと一斉に非難の声をあげた。
これなどは国際法を全く知らないという典型である。(P214)

・降伏というのは、1人の指揮官のもとにある軍隊の場合とか、ある特定の条件のもとでできることである。ところが日本の大使公邸を占拠したのは軍隊ではない。あれは暴力団のやったことで、どう解釈しても軍事行為とは認められない。したがって降伏の権利はないのだ。(P214)

・降伏して捕虜になるには、それなりの条件がある。そのことを日本では全然教えていない。 だからああいう発言が出てくる。これは政府、自衛隊赤十字の責任。どういう場合に捕虜として降伏できるかという国際法の基礎を、きちんと教えておかないと大変なことになる。(P214)

・ペルー事件は侵犯以前の問題。たんなる違法な暴力行為であるから、行動の一つとして射殺しても何ら問題はない。西部劇やギャング映画で、両手を挙げて出てこいというのは、警察のお情けにすぎない。
ペルー事件の場合は軍事行動でもないし、正当防衛でもない。黙って殺してしまっても文句のでる筋合いではないのだ。(P215)

・人命尊重のお題目はいまや国際法に反する行為だ (P216)

・ペルー事件のいろいろな経緯を考えたとき、人命を尊重しろという発言がどんな意味を持つかというと、それはゲリラ側の無理難題を呑んでしまえということに他ならない。(P216)

・今日の世界の情勢としては、ペルー事件のようなことが起こったとき、最悪の場合には人質が殺されてもやむを得ないという方向になっている。断固としてゲリラの要求をはねのけるというのが、世界の趨勢であり定説になっている。これも国際法の一つとして理解しなければならない。国際法は慣習法だから、みんながあることを守って、それが慣行になったらそれが国際法なのである。(P216)

・犠牲があってもやむを得ないというとき、何と比較してやむを得ないのか。(P216)

・何が問題かというと、今の犠牲と将来の犠牲と、どちらが大きいか ということだ。今の人を助けて、将来殺されるかもしれないであろう人の権利を奪うことはできない。(P216)

・また、根本的な責任を追及する日本の報道と世論、これも非常に困った問題だった。誰がいちばん悪いのかといったら、ゲリラが悪いに決まっている。悪いやつが悪いことを命懸けでやっているのだから、最悪の場合、犠牲も致し方ない。究極的責任はゲリラにある。(P218)

より一部引用
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「人類皆兄弟」と、「人権」は、イヤと言うほど教えられてきたけど、
国際法なんて、知らなかった。

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「人類皆兄弟」=ゲリラ側の無理難題を呑んでしまえ

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憲法9条」=武器を持つゲリラ側に反撃してはならない

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「人権」=ゲリラ側の人権を侵すことは許されない

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