調査能力ゼロのユネスコだけど、拠出金停止は最終手段

中国がユネスコに申請していた「南京大虐殺に関する資料」が、日本の抗議にもかかわらず世界記憶遺産に登録された。中国は登録資料を公開していないが、証拠写真は全て捏造されたものだろう。本物の写真は発見されていない。

記憶遺産に登録されると、ユネスコから給付金が出る。ユネスコへの支援割合は日本が一位だ。日本の金が、反日プロパガンダに支給される。こんな馬鹿げた話は無い。

記憶遺産登録の最終決定権者はユネスコ事務局長にある。そのイリナ・ボコバ事務局長は、先日の中国の軍事パレードに出席、笑顔で軍事パレードを観閲していた。完全に中国に籠絡されている。腸が煮えくりかえる思いだ。

大きな問題では無いとする意見もある。確かに、世界記憶遺産は書類審査だけで選考され、厳格な審査を要する世界遺産ほど価値ある称号ではない。約340事例が記憶遺産に登録されているが、どんな事例があるのか知っている人は少ない。

しかし、問題の本質はそこではないだろう。問題なのは、中国の反日プロパガンダに、ユネスコがお墨付きを与えてしまったことだ。歴史戦において、中国が不当な優位性を獲得してしまった。このことは、今後末永く日本を苦しめることになるだろう。

それでも、ここてゃ一つ冷静になりたい。自民党産経新聞が気勢を上げているが、ユネスコ拠出金の削減・停止を対抗カードに用いるのは疑問に思う。産経新聞は「脱退もあり」とまで述べていたが、やられっぱなしのままでの脱退は論外だ。

気持ちは分かる。そりゃ分かるさ。no-risuだって、菅官房長官が直ちに遺憾の意を表明し、さらには拠出金見直しにまで言及した時、「その通りだ、よく言ってくれた。一発かましたらんかい!」と喜んだ。だが、冷静になって考えれば、これを上策とは言い難い。

理由はいくつもあるが、大きくは2つ。

1.国際社会はもちろん、国民の理解すら得られない
2.目的達成にはプラスどころかマイナス

国際社会もユネスコも、外国人が南京問題の詳細など知るわけが無い。なんせ、日本国民ですら大虐殺の事実があったと信じている。そもそも、虐殺の大罪を自白したのは日本側だ。朝日新聞及び朝日記者の本田勝一が広めたデマである。

朝日は慰安婦報道の誤報は認めたが、南京問題については認めていない。本多は中国で「正義の記者」に祭り上げられ、南京記念館には本多の資料が展示されている。そして、日本政府は国際社会にも国民にも、朝日の捏造について説明していない。

客観的に見て、中国は日本の被害者、朝日と本多は日本の悪事を暴いた正義のメディアだ。日本が拠出金削減をちらつかせれば、「金で不都合な歴史を揉み消そうとしている」と受け取られるだろう。誰も「正当な抗議」だなんて思ってくれない。

ところで、本多勝一は真性のカス野郎である。

昨年9月、週刊文春の提案で本多勝一藤岡信勝教授の公開討論が行われた。公開討論といっても、その形式は一風変わっていた。両者は顔を合わせない。まず一方の主張を掲載し、これを受けてもう一方が翌週に反論・説明する、往復書簡形式が取られた。

往復書簡形式になったのは、本多が「口頭の討論は不正確になる」等と直接討論から逃げて、本多から往復書簡形式を求めてきたからだ。藤岡教授はこれを受諾し、まずは藤岡教授が本多の主張の問題点を指摘する形で公開討論が始まった。

藤岡教授の文章は、当たり前だが言葉遣いが丁寧で、論点をまとめて読者にも分かりやすく書かれていた。しかし、本多の反論はあまりにも酷かった。奴の腐りきった人間性が、これでもか!、と全面に押し出されていた。

驚くべきことに、本多の反論文は「対談形式」だった。謎の第三者・編集者Aが登場し、Aと本多が対談する形式だった。もちろん、藤岡教授は事前に知らされていなかった。まして、討論に正確をきするため往復書簡形式にしたのは本多である。

対談内容は酷かった。まず、編集者Aが藤岡教授の指摘について論評(酷評)する。編集者Aは「本多が絶対に正しい」の前提に立ち、具体的根拠も示さず藤岡教授を小馬鹿にして嘲笑い、たまに本多が「そうのとおりだな」と偉そうに相づちを打つ。

まるで反論・説明になっていないし、発言の8割は編集者Aのものだった。Aは匿名で正体不明だ。本多は本多で自分を「俺」と言い、およそ討論とは思えぬ無礼な言葉遣いだった。さらに、対談を文章化したのは本多ではなく編集者だった。

当然、次回の藤岡教授はこのことに苦言を呈し、「これではまるで編集者Aとの討論だ」と本多に改善を求めた。完全に正当な要求だが、本多と編集者Aは翌週の紙面において、「オレ達に反論出来ず発狂したアホの難癖」として大いに嘲笑った。

正直、とても読んでいられる代物では無かった。こういう人間が、南京大虐殺を広め、我々日本人を貶めたのだ。この延長線上に、今回の記憶遺産登録がある。まさに国賊であろう。

話を戻そう。

拠出金の停止は、目的達成にプラスどころかマイナスが予想される。目的とは、言うまでも無く南京の登録抹消だ。金欲しさにユネスコが抹消するなら話は早いが、とてもそうなるとは思えない。最悪、中国が肩代わりして、日本の地位までかすめ取られる。

ユネスコが金に屈しなかった場合、日本は発言力を喪失した現実と、脅した事実のみが残され、南京抹消は永遠に不可能になるだろう。そうなれば、第2第3の南京が登録されそうになっても阻止出来ないし、そうなってから元に戻そうとしても無理だ。

ならどうするか。当然、「戦う」べきである。日本は、「金は出すが口は出さないお人好し」だった。今後は、「金に応じて口も出す優等生」に転向するべきだ。南京登録について、大々的に、徹底的に、不当であることを厳しく追及するべきだ。

戦う中でなら、金をちらつかすのも有効だ。拠出金は最後の切り札である。沖縄の翁長ですら最後まで温存したのに、戦わずしていきなり最終カードを切る馬鹿がどこにいるか。

南京登録は屈辱だ。しかし、安易に拠出金を停止すれば、おそらくはより耐えがたい屈辱が待ち構えている。

余談。共産党山下芳生らも自民党の拠出金停止を批判しているが、本エントリの趣旨とは全くの別物だ。山下は南京虐殺を事実と認めているが故に批判しているのであって、そんな理由ならば即刻停止した方がマシである。
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