「沈黙の意思表示は民意に値しない」 by 朝日新聞

 8月30日に国会周辺で行われた安全保障関連法案に反対するデモでの参加者の演説と、それに対する一部メディアの過剰な反応がさっぱり分からない。主催者発表では約12万人だが、産経新聞の試算では3万2千人程度の参加者にとどまるこのデモが、どうしてそんなに重視されるのか。

 デモ翌日の31日の在京各紙をみると、朝日新聞毎日新聞東京新聞が1面でデモを取り上げていた。特に東京は1面をデモの記事で埋め尽くしたほか、2面、3面と社会面見開きで大きく紹介している。
 まるでこの日は、ほかにはろくにニュースがなかったかのようである。

 ■多数派の意思無視
 もちろん、憲法は集会や表現の自由を保障しているし、デモが意見表明や対象に圧力をかける手段であることも分かる。とはいえ、チベットウイグルで反中国政府のデモをするのとは異なり、弾圧も粛清も絶対にされない環境でデモをすることが、そんなにもてはやすべきことなのか。

昭和35年の日米安全保障条約改定時には、警視総監が首相官邸岸信介首相を訪ねて「とても十分な警備ができないから、別のところに移ってくれ」と要請したこともある。デモ隊が岸氏の自宅の門をたたき壊して火をつけたものを敷地内に投げ込んだ場面もあったといい、それに比べても盛り上がりも緊迫度も雲泥の差だといえる。

 「イギリス人にとっての(王の権限を制限した)マグナ・カルタ、フランス人にとってのフランス革命に近いことが、ここで起こっているんじゃないか」
 今回のデモで、音楽家坂本龍一氏はこう訴えたが、比較する対象が根幹から間違っている。
 「こんな憲法違反の法案、通すわけにはいかない。これから(国会会期末までの)3週間、さらに力を貸してください」

 民主党岡田克也代表はデモでこう呼びかけた。だが、国民の負託を受けて議席を得た国会議員がなすべきは、デモに加わり、利用することではなくて審議を尽くすことではないのか。

また、31日付朝日の1面コラム「天声人語」は、憲法学者樋口陽一氏の「一人ひとりが自分の考えで連帯する、まさに現憲法がうたう個人の尊厳のありようです。憲法が身についている」との言葉を引き、こう締めくくっていた。
 「民意の力の見せどころが続く」

 安保関連法案に自分の考えで賛成している国民は、全く眼中にないようだ。

デモに参加しないという圧倒的多数派の沈黙の意思表示は、朝日にとっては民意に値しないのだろう。

さらに7月12日付同コラムは、哲学者の柄谷行人氏の次の言葉を引用していた。
 「人々が主権者である社会は、選挙によってではなく、デモによってもたらされる」


 ■民主主義を否定
 つまるところ、朝日は憲法が要請する議会制民主主義を否定したいということだろうか
 朝日が尊重してきたはずの憲法前文の書きだし部分には、まさにこうあるではないか。

「日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し…」

より一部引用
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沈黙する多数の声は無視する