尼崎連続変死〝キーマン〟 「お腹痛めて産んだ子」も美代子元被告に差し出した壮絶人生

 兵庫県尼崎市の連続変死・行方不明事件で、男女3人への殺人や詐欺などの罪に問われた角田美代子元被告=自殺、当時(64)=の義妹、角田三枝子被告(62)。
 一連の事件の関係者の中でも、?ファミリー?を率いた首謀者とされる元被告のそばに約40年間、寄り添い続けた「事件のキーマン」とも言える人物だ。風俗で稼いだ約3億円もの金を「疑似家族」の家計に回し、お腹を痛めて産んだ息子まで差し出す…。これまでの公判で明らかになったのは、ときに元被告への「殺意」を胸に秘めながらも、想像を絶する忠誠ぶりを示してきた悲惨で壮絶な人生だった。(佐藤祐介)
決定づけられた主従関係
 2人の出会いは、幼少期のころまでさかのぼる。
 昨年11月21日に開かれた元被告の次男、優太郎受刑者(28)=殺人罪などで懲役17年の判決確定=の公判に証人出廷した際の三枝子被告の証言などによると、三枝子被告の家族が、元被告の母親の家を間借りしたことが2人の特殊な関係の始まりだった。
 「物事は白か黒、好きか嫌いか、イエスかノーか」。若い頃から口癖のように話し、中途半端なことを極端に嫌ってきた元被告。三枝子被告は18歳から共同生活を始めたがなじめず、約1年後、両親のもとに戻った。
 その後、元被告から両親とともにののしられ続けた。元被告の激しい怒りをおさめるには、共同生活に戻るしかなかった。これを機に2人の主従関係が決定づけられた。
 それから人生の歯車が大きく狂い始める。
貢いだ総額3億円
 20歳のころから売春を始めた。25歳のときには約1年間、横浜市内のソープランドで働いた。すべては元被告の派手な生活を支えるためだ。知人には「ラウンジで働いている」とうそをつき続けた。1カ月あたりの仕送り額は生活費を差し引いた120万~150万円。稼ぎの大半を元被告に渡していた。
 元被告は受け取った金を着物や宝石、旅行代などに充てていた。このときの元被告の様子について、三枝子被告は「自分しか持っていないものを持つことに満足感を感じていた」と証言した。
 身を削って稼いだ金を、こうした派手な暮らしに加え、パチンコなどのギャンブルの遊興費にも使われる理不尽な生活。だが、それでも当時、元被告のいる尼崎市から離れられて「ほっとしていた」という。
 その後、尼崎市に戻ることになったが、そこでも風俗の仕事を続け、48歳ごろまでの間、稼いだ金の全額を元被告に渡した。
 これまでに貢いだ総額は約3億円。元被告や事件の他の被告、被害者との「疑似家族」の生活を支え続けた。
息子差し出し…「殺そう」
 28歳のころ、三枝子被告はある「賭け」に出たことがある。風俗店の客と結婚し、角田家を離れようと試みたのだ。
 当時、角田家には約1千万円の借金があった。風俗客との間に恋愛感情はなかった。借金も自身がつくったものではなかったが、「借金は返すので結婚させてほしい」と角田家を抜け出したい一心で元被告に頼み込んだ。
 しかし、元被告からの返答は「ノー」だった。「誰のおかげで働いていると思っているのか」と怒りだす始末で、普通の生活に戻りたいというかすかな希望はついえた。
 今年5月14日に開かれた自身の公判の被告人質問では、元被告が20代のころから、三枝子被告の子供をほしがっていたことを明かした。「うちは学校の成績も悪いし、顔も不細工やから、自分の子はほしくない」。ことあるごとに強く迫ってきたという。
 その後、三枝子被告は元被告方に集金に来ていた行員との間に優太郎受刑者を身ごもり、元被告の指示を断れず、元被告になりすまして病院で出産した。33歳のときだ。出生届に母親として記載されたのはもちろん、元被告の名前だった。
 「内心はすごく嫌だった。初めて美代子を殺そうと思った」。お腹を痛めて産んだわが子を差し出すことにはやはり抵抗があったが、「逆らったら優太郎に危害が加えられる」と思った。息子の身を案じ、自分は「同居するおばさん」に徹して生きた。
何度も自殺を…
 その後は「疑似家族」の借金がふくれあがり、親にも会えず、元被告から離れられない人生…。これまでに何度も自殺を考えたという。
 「自分が死ねば、美代子も死んでくれるのではないか」
 真の狙いを伏せ、自身に掛けられた保険金で借金を返済することを提案したが、元被告はこう言い放った。
 「自殺では出えへんねんで。おらんようになったら困るやろ」。
 もくろみはもろくも崩れた。
 三枝子被告は45歳になる平成10年、養子縁組により元被告の妹となり、13年には元被告の勧めで、沖縄・万座毛から転落させられ死亡した角田久芳さん=当時(51)=と入籍した。生命保険金約5千万円の受取人となり、久芳さんの死亡後、保険金を受け取って元被告に差し出した。
人生翻弄した首謀者は自殺
 「元被告を殺したいと思ったこともある」と殺意を抱き、一時は自殺も考えながらも、切っても切れないと思い込んでいた元被告との関係。が、24年8月に三枝子被告が親族の年金を無断で引き出したとして窃盗容疑で逮捕されたことで、状況は一気に変わった。
 三枝子被告はこのとき、警察の調べに対し、尼崎の民家下に数人の遺体を埋めたと供述し、一連の事件を自供したとされる。ほぼ毎日つけていた日記に集団生活の内容が詳細につづられ、事件を立証する重要証拠となった。
 三枝子被告をはじめ、元被告の養子で長男、健太郎(33)、元被告の内縁の夫、鄭頼太郎(65)の両被告の計3人の公判は5月13日から始まった。3人は被害者3人への殺人罪について「殺そうとも、死んでもいいとも思ったことはない」と述べるなど起訴内容の大部分を否認した。裁判員の在任期間が過去最長の140日となる見通しで、判決は9月半ばになる予定だ。
 一連の事件を主導した元被告は逮捕後の24年12月、兵庫県警本部の留置場で首をつって自殺している。約40年もの間、元被告に人生を振り回された揚げ句、法廷に引き出され、裁かれる身に転落した三枝子被告の胸中に浮かぶものは…。
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日本人家庭を乗っ取った事件。

まるで、日本の縮図のように思えてならない。

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