真の「錦の御旗」とは何か 国連の正体

今日は7月15日なのですが今から54年ほど前の1960年の7月15日は安部首相の祖父に当たる岸首相の内閣が総辞職した日でもあります。

私が生まれる10日前なのですが、日米安全保障条約(安保条約)を与党自民党が国会で強行採決した事に反発した、国会議員や労働者・学生、そして国内左翼勢力とその支持する市民による国会を取り囲む大規模なデモ騒動が、岸内閣を総辞職に追い込んだわけですね。


どこかの民放が開局60年とか50年と称してスペシャル番組を企画していますが、単なる視聴率目当ての下心が見え見えで、特に今年の世論操作はネタバレ状態なので必死にはぐらかしたいようです。


国民にはどうでもよい事ばかりで、この暑さでボーッとしていると大切な事を見失ってしまいそうな今日この頃かも知れません。


つい先日まで安部政権による集団的自衛権の行使容認を内閣で閣議決定し、半世紀を経ても日米同盟の抑止力を強化する政策が推進されている。


メディアでは賛否両論の報道合戦が成されているが、半世紀前の騒動が再び繰り返されるのか。

いやそうでもなさそうだと個人的には思案しているのですが。

私には当時と現代の国民性がさほど大きく変容しているようには思えないし、今日の情報過多社会では明らかに国民は真実を突き詰める術を知っているように感じています


戦後の日本国民がどうして平和憲法を守り続けて来たのかと考える時、やはり戦争の傷跡を癒すためであり、また二度と戦争を起こさない気概を世界に示すためだった事は言うまでもない。


ただそこには日本人特有の「錦の御旗精神」が内包されているように感じるのは私だけでしょうかね?


錦の御旗とは幕末時代の官軍の印として用いられた旗のことを言う。

要はこの旗印の軍隊が朝廷側もしくは政府側の正規軍と言う事。


最近は段々少なくなって来たが、現在の国際連合の国連軍を世界の官軍と誤認している、時代劇を見て育った中高年以降の日本人は案外多い。


国際連合(国連)とはUnited Nation、つまり連合国の事なのです。

日本語の英訳の差異を巧く利用して、心憎いぐらい印象操作を施されていますね。


戦勝国の連合国を国際連合、通称国連とはあつぱれとしか言いようがない。



そもそも連合国とは先の大戦で、日本、ドイツ、イタリアなどに戦勝した米国、ロシア(旧ソ連)、英国、フランス、そして滑稽なのが戦後戦ってもいないのに飛び入りし漁父の利を得ている中国(1971年までは中華民国、今の台湾)がある。


この5大国が国連であるUnited Nationの核保有を許された安全保障理事国(それ以外にもインド、パキスタン北朝鮮、推測ではイスラエル等)で、加盟している諸外国を敵国から守るために存在していると言うのです。


またこれらの理事国は個々に拒否権を持っています。

ところでこの加盟国に危害を加える敵国とは如何なる国なんでしょうね?

国連憲章第53条と101条を読むと明確に書いてあります。

敵国条項の欄にはっきりと日本、ドイツなど第二次大戦の敗戦国の国名が未だに列挙されています。

それに安全保障理事国のみが単独でも、これら敵国などから自国に危害を加えられたと判断した時には、他の理事国の承認を得なくても個別的自衛権を行使し敵国に軍隊を派遣出来ると言う。

戦後の冷戦や旧ソ連邦崩壊後の一人勝ち米国を見れば一目瞭然ですね。

朝鮮戦争ベトナム戦争、そして湾岸戦争からアフガン侵攻まで。

戦争は国益と称してビジネスの如く行われて来ました。

中国が何故に尖閣諸島にちょっかいを出して来て、領土問題にしたがっているかもうお分かりでしょう。

日本政府は尖閣諸島は我国固有の領土であり、領土問題はあり得ないと常に声明を出していますね。

もし中国が言うように領土問題にすれば、中国は安全保障理事国であり未だに敵国条項に記載されている日本から領土を侵犯されたとして、軍を派遣する事が今の国際法で認められると言うロジックを使いたいわけですね。


しかし衰えたとは言えど今尚強国の米国が日本と安保条約を交わしている以上、下手に手を出せないわけです。

衰えつつある強国の米国を補完する意味での今回の集団的自衛権行使の容認問題があるわけですが、祖父の時代から孫の時代に渡って歴史は繰り返されているわけです。


米国の衰退と大英帝国の衰退とはどうも歴史がオーバラップしますね。


大英帝国最期の宰相であるパーマストンは「永遠の同盟国も、永遠の敵国もない。あるのは永遠の国益だけ」と言う名言を残していますが、まさしく世界は戦後の日本を米国の占領統治憲法で檻の中に唯一閉じ込め孤立させ、「国益」と言う2文字を国民から忘却させる事に成功しました




さらに連合軍は日本の民放をコントロール支配し
民放地上波最大の時代劇だった水戸黄門などで勧善懲悪よろしく、葵の紋を国連旗にダブらせた手法は見事としか言いようがない。


名君や聡明な支配者が民衆を大事にする、そこに古からの日本の天皇は象徴として封印され、教育の世界では国歌も国旗掲揚軍国主義と定義し、自虐する日本国民の心のよりどころは水戸黄門の葵の紋のごとく国連旗となった。



さあ、そろそろ今年の終戦記念日ぐらいは「国益」をじっくり考えたいものです。


個人的には国家を企業に例えて考察してみた際に、会社の幹部の方々には是非この国益をどのような2文字に置換えるべきかを考えてもらいたいものです。

これから更なる猛暑が続きそうですが、皆様お体にはご自愛下さい。
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国連。
 
日本を敵国とみなしている機関であると、どれだけの日本人が知っているのだろう・・