アベノミクスでも注目を浴びる、「女性の活用」。一見、聞こえのいいこの言葉、実は大きな問題をはらんでいるという。本連載では、そんな「男と女」にかかわるさまざまな問題を、異色の男性ジェンダー論研究者が鋭く斬る。
子ども2人が公立の小・中学校に通っている関係で、PTAにもかかわるようになりました。私は娘(上の子)のほうを主に担当するのですが、PTAの集まりにお父さんが参加しているのを、ほとんど見たことがありません。
↑当たり前。普通、お父さんは働いているのだから。
 
保育園時代の父母会では、お母さんのほうが若干多かったとはいえ、激務のキャリア官僚や、世界を飛び回るジャーナリストのお父さんも、きちんと行事に参加されており、話を聞くだけでもとても面白い集まりでした。
↑保育園は、共働きでないと入れないのだよ。
 当然、行事は土日に設定される。
 
ところが公立の小・中学校に入ると、PTAは完全に女性だけの集団。先生まで、私のいる場で「あとはお母さん方で適当に決めていただいて」などという「差別発言」を平気でなさったりします。
↑全く、差別発言と思いませんが。何を煽っているのでしょうねぇ。
 
保育園との落差があまりに大きく、私は完全に変人扱い。まぁ変人なのは事実ですから、それはかまいませんが、それにしてもあまりに変なのです!
東洋経済が・・。

■小学校にはびこるワケのわからない規則

まず戸惑ったのが、わけのわからない規則の多さです。6年生の保護者会の場で、担任の先生が「シャープペンシルは認めません」と言うので、「なぜですか?」と聞くと、「正しい字を書けるようにするためです」。
「シャーペンでは正しい字が書けないという科学的な根拠があるのですか?」と聞くと、「ありません」。「根拠もないのに、なぜそういう規則を課すのですか?」「キャラクターものなどもありますから」「それはなぜダメなのですか?」「値段が高かったりして……」「ならば、図柄のないシャーペンならよいのではないですか?」。
↑まるで、モンスターペアレントですね。
 
もう禅問答です。「それは規則では許されません、なぜならばそれは規則だからです」という同義反復。どう考えても教師自身が、自分の頭で考えて発言しているとは思えません。
これは子どもに向かって「ものを考えるな、黙って従え」というメッセージを発するもの。フーコーの指摘するような、思考停止をさせての規律訓練です。軍隊や刑務所がとるやり方で、学校という教育の場でこんなことをやるというのは、子どもを画一化された「工業製品」としてしか見ていないことの証左です。出る杭を打って、潰して、均(なら)していく、というのが実態と言わざるをえません。
↑いえいえ。
 シャーペンを使いたい小学生が言っているような論理ですな。
 
日本の大学生が、日本でも、海外でも、ゼミの討論のときに黙ってしまうのは、こうした思考停止と関係しています。規則や現状を追認するのではなく、「問題点に気づき、論理的に考え、言語化し、議論する」というトレーニングをさせない環境を、日本の公教育自体が作り出しているからです。これでは独創的な発想は生まれず、一歩世界に出ると、沈黙するだけです。
↑こんな偏った報道をされ、ありもしない自虐史観を植え付けられているから、沈黙するのですよ。
 
規則というのは、金科玉条のごとく従えばよいものではありません。おかしいと思ったときに議論をして、それを変えていく力こそが、何よりも重要です。歴史に名を残した人権活動家は、ほとんどの人が当時の法律に意図的に反旗を翻し、投獄され、それでも抵抗を続けました。信念を持って規則を変えていく努力をすることは、「悪法もまた法なり」などと盲従することより、はるかに尊い作業なのです。なのに、私の見た教育現場は、それを押さえつけようとする言動ばかり。なんともはや……。
 
↑シャーペンの使用を議論する前に、金科玉条に縛りつける憲法9条こそ、議論すべし。
 
 

■教育長の、驚きの性差別発言

もっとビックリしたのが、PTAの各種行事の世界です。専業主婦の非常に多い地域であることも影響しているのでしょうが、どの集まりでも参加者はほとんど女性しかいません。
↑だから、当然です。お父さんは働いていますから。
 どうして、そうやって、専業主婦を差別するのでしょうね。
 差別主義者ですね。
 
先日、渋谷区の教育委員会が主催する研修会に出たところ、見渡す限り女性でした。平日の昼間ですから当然なのかもしれませんが、アメリカのPTAでは平日でもこんな経験をしたことはありません。父親が休みを取っていたり、開催時間が遅めに設定されていたりするからです。
アメリカは、格差社会で大変なことになっていますよ。
 大学さえ借金で行くから、一生借金を返すような学生が問題になっていますよ。
 そんなアメリカを金科玉条のように受け入れていいんですか?
 それこそ、自分で思考していないのではないですか?
 
その講演で、多数の聴衆を前に、森富子さんという年配の教育長が、食育に関連して「(食事を)作るのはお母さんたちですから」と堂々とおっしゃったので、目が点になってしまいました。
↑そうですね。
 あなたにとっては、アメリカのファーストフードでないと、目が点になりますよね。
 
女性で小学校の校長先生まで務められ、教育委員会で教育長にまで出世なさった方が、なぜこのようなことを平然と言えるのか、理解できません。何十年も女性ばかりのPTAを見てきて何の疑問も持たれなかったのでしょうか。政治家や首長・役職者などが、公の場でこんな発言をすれば、問題になるのは明らかだと思うのですが。
↑それこそ差別発言。
 女性が料理することをどうしてそこまで批判するのでしょう。
 専業主婦をバカにしているとしか思えませんね。
 
たとえば、もし仮に安倍首相がこんなことを言ったら、マスコミは飛びついて批判をし、「『女性の活用』なんて主張するけど、しょせんはこの程度の理解」と大騒ぎになるでしょう。閣僚が一言漏らしただけでも、任命権者である首相の責任が問われるはずです。
↑当然です。売国マスゴミは、揚げ足を取るのが仕事ですからね。
 東洋経済も炙り出されましたね。
 
教育長は、首長が(議会の承認を経て)任命する教育委員(5人)の互選で選ばれます。地方教育行政法4条1項には教育委員の要件として、「人格が高潔で、教育、学術及び文化に関し識見を有するもの」とあり、この発言は任命した渋谷区長の責任にもかかわる問題なのです。
あまりに驚いたので、講演の後ですぐに手を挙げて、「『作るのはお母さんですから』というのは、性差別的な発言で問題です」と指摘したところ、返答では「すみません、お父さんも、あとおばあちゃん。うちはおばあちゃんでした」と、これまた迷言。
↑こんな不毛な発言にも、丁寧に答えてくれるのですね。
 まるで、小学生の屁理屈反抗期ですね-。
 
 
こちらは「男は仕事、女は家庭」という固定的性役割分業規範を問題視しているのであって、お母さんをおばあちゃんに変えたところで、問題は何も解決しません。
ちなみにうちでは夕食を作るのは、基本的に私の役割です。子どもたちには、「夕食は父親が作っていた」という記憶を残したいと、いつも思っています。「作るのはお母さん」という発言は、男性の家事参加を否定し、女性を家事に縛りつける言葉であるはずです。
↑女子大学生で主婦になりたいと思っている割合が増えています。
 時代を読めないどころか、世論誘導にも失敗していますよ。東洋経済
 
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