1130回目のソウル「糾弾水曜デモ」、死してなお「反日道具」の元慰安婦

「賠償しろ!」「認めろ!」「ウオー!」
 平日のソウルのオフィス街に、場違いにも思える雄たけびが響いた。韓国の反日団体「韓国挺身(ていしん)隊問題対策協議会」(挺対協)が主催する慰安婦問題で日本政府を糾弾する「水曜デモ」での一コマだ。
 デモは1992年1月、当時の首相、宮沢喜一の韓国訪問直前のタイミングで始められた。それから現在に至るまで毎週水曜日、ソウルの駐韓日本大使館前で挺対協会員団体や学生らが歌って踊り、謝罪と賠償を求めるシュプレヒコールを繰り返している。
 その1130回目に当たるデモの模様を今月11日、現地で取材した。
 正午のデモ開始の30分ほど前から徐々に人が集まりだした。元慰安婦の李容洙(イヨンス)も車で連れてこられ、イスに腰を下ろした。その隣の席には、8日に死去した元慰安婦、●(=褒の保を非に)春姫(ペチュンヒ)の額縁入りの遺影が置かれていた。
 日本大使館のほぼ正面の公道上には2011年12月、「公館の安寧妨害」や「公館の威厳の侵害」を禁止したウィーン条約に抵触する形で、慰安婦を表す少女像が違法に建てられている。
 この日集まった100人以上の人々は、思い思いに像の前で記念撮影をしたり、雑談をしたりでリラックスしていた。参加者の男子学生グループは、少女像の頭に腕を乗せたり、その頬をつついてみたりと像をもてあそび、特に敬意は払っていなかった。
 
 ただ、それまで手慣れた雰囲気でにこやかに記念写真撮影に応じていた李も、デモ開始時刻になると表情を厳しくし、あいさつではこう嗚咽(おえつ)した。
 「春姫姉さんは痛みも心配もないあの世に旅立ったけれど、私たちは一生懸命、闘い続けるのでどうか力をちょうだい」
 慰安婦は、死してなお対日歴史戦の戦士と祭り上げられ、反日の道具とされているように見えた。
 また、参加者には、英語やハングルで「性奴隷の戦争犯罪を認めろ」「犠牲者に賠償しろ」「慰安婦像を建てろ」などと書かれたプラカードを手にして、日本大使館に向けて掲げる者も多かった。だが、大使館側はデモ中、窓のブラインドをずっと下ろしていた。
 「私たちの領土である対馬を返還しろ」
 デモでは、こんな慰安婦問題とは関係のないビラを配る人もいた。それを疑問なく受け取る人々を見ながら、彼らと話し合う土台は存在するのかと考えた。
 「国際社会に対する重大な挑発だ」
 日本政府による河野洋平官房長官談話の検証結果発表を受け、挺対協は21日、こんな声明を出した。声明は「今後、各国政府、市民社会との、より強力な連帯によって、日本政府を糾弾、圧迫していく」とも指摘している。
 検証結果については、河野氏自身が「正しく書かれている。足すべきところも引くべきところもない」と認めたにもかかわらずだ。
 日本が事実関係を明らかにしたり、少しでも何か主張したりすると韓国側が感情的に反発する。この構図が変わらない限り、冷静な話し合いは難しい。(敬称略)
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角田美代子の家族崩壊作戦も、同じだ。
イチャモンをつけ、近所にビラを貼り、大声で罵詈雑言を投げる。
恫喝・恐喝。
相手を卑しめる。
これをしつこく続ける。
相手が根を上げるまで続ける。
 
それを取り締まる者はいないことが分かった。
 
それに比べて「野次」をクローズアップすることの
おかしさw。