続き
女の子も戦ってる。
それに引き替え自分の意気地のなさと言ったら。
忸怩たる思いが募ったが、それでもやっぱり怖いものは怖かった。
機動隊と市民のにらみ合いが続き、しばらくそのまま小康状態となった。
それから深夜にかけて、もう一度機動隊が突っ込んでこようとした時があった。
「機動隊来たぞー」の掛け声に走る仲間たち。
また立ちすくむ僕。
しばらく悩んだが、やっぱり機動隊を止めに行こうと決意した。
止めなきゃ、意味がないんだ。
警察の人や機動隊の人たちは無表情だ。本当に無表情だ。
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この人たちは、正義も思想も何も持っていない。ただ「仕事」としてやってきているだけ。
なるほど。と思った。
だから市民が機動隊を止められるんだ。
本気出せば機動隊がバリケードを潰して、ここにいる人間を検挙することなんてわけないだろう。そういう訓練をしている人たちだ。
だけど、ここに来ている機動隊の人たちは上から命じられて来ている人たちだ。
自発的にやってきている僕たちとは根本的にやる気が違う。
機動隊の人たちも若者だった。
奇しくも現場では若者と若者がにらみ合うという構造になっていた。
バリケードが出来てからほぼ鳴り止むことのない「再稼働反対」の掛け声。
機動隊とにらみ合っている時は必死だから、「再稼働反対」と叫ぶしかないけど
本当は心の底でこう思っていた。
「一体僕は誰と戦っているんだろう。」
当事者でないこの人たちに「再稼働反対」と叫んでも意味が無いし、夜の闇に言葉は吸い込まれていく。
テレビは報じない。言葉で伝えても信じない人が多い。
「私の責任で」と何の担保にもならぬ口先だけの説明で再稼働を決めた野田首相。
抗議行動に関西電力の人は出てこないで、黙って警察を寄越すだけ。
「再稼働反対」の掛け声の合間には「関電さん出してー」の声が混じる。
だけど、誰も出てこない。
関電さんも、政治家も誰もこない。
その結果、警察という本来ぶつかるべきでは無い相手に「再稼働反対」を叫ぶことになる。
次第に、機動隊に検挙されるよりも、よっぽどこっちの方が恐ろしいように思えてきた。
首相官邸前に10万人もの市民が集まって(この人数の真偽は定かではないけど)再稼働反対を伝えても、政治家は無視をする。声は物理的に届いているのに。
間接抗議が意味を成さないならば、こうして直接来るしかないじゃないか。
黙ってたら、賛成と見なされる。
だけど声を出したら警察が来る。
そんなのおかしいじゃないか。
そんなのおかしいじゃないか!!
そんなのおかしいじゃないか!!!!
深夜3時、不安と恐怖とやるせなさで、ここから逃げ出したくてしょうがなくなった僕は踊り始めた。
「再稼働反対」と叫びながら踊った。もはや機動隊のことなんてどうでも良かった。
どうして抗議行動にリズム隊がかかせないかというと
リズムがあるだけで勇気が出るからだ。楽しくなるからだ。
踊って歌いながらの「再稼働反対」はもはや現場で自然と生まれてきた文化だ。
その内、夜が明けてきた。
少し明るくなってきた頃には、機動隊の数もこちら側の数もかなり少なくなっていた。
機動隊の若者の顔がよく見えた。
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昨夜は無表情だと思ったその顔に色んな表情が見て取れた。
眠い顔。そりゃ眠いよね。付き合わせてごめんね。
うんざりした顔。そりゃうんざりだよね。付き合わせてごめんね。
メンチ切ってくる人。怖いからやめてー。
中には良心の呵責に耐えている人もいるように勝手に感じた。
この人たちも何故ここにいるのか、意味分かんないだろうな。
可哀そうだよこんな仕事。
だって向こうにしてみれば、夜通し歌って踊っている人たちに突撃していくんだもん。
こっちが攻撃的だったらもっとやりやすいと思うけど。
なるほど、非暴力というのはそういう効果があるのか。などと感じ入りながら
やはりここに当事者がいないことの空しさが胸をつく。
朝まで踊り続けて、僕は現場から去ることにした。
僕は勤め人だから、月曜日には会社にいかなければならない。
一夜踊り明かした仲間たちを置いてここを去るのは心が痛んだが、心の中でまだ残っている皆に最大限の敬意をはらいながら駅に向かった。
若狭本郷駅は静かだった。
ちょっと前の出来事が嘘のように静かだった。
6時間電車に乗って東京についた。
平和だった。
ちょっと前の出来事が嘘のように平和だった。
現実から目を背けたくなった。
ここに来て突然悲しくなった。
現実が違いすぎる。僕達が感じている現実と、その他大勢の人が感じている現実のあまりのギャップの大きさにくらっとした。
友人から電話があった。
「大飯原発がどうだったか聞こうと思って」
嬉しかった。
僕は話した。そして気づいた。
やっぱり首相官邸前の抗議なんて意味がない。
いや、意味がないとは言いすぎた。皆が出来る範囲で行動するしか仕様がない。
だけど、首相官邸前でたくさん人が集まってわーい。じゃ何も変わらないんだ。
唯一今世の中を変えられるとしたら、その答えは現場にしかない。
首相官邸前に抗議で自己満足するなら現場に来て自己満足した方がよっぽど効果がある。
大飯は今、300人~500人の人数で頑張っている。
ここに1万人来たら確かに止まるよ。物理的な話として。
話は意外と簡単だった。だから行ける人はとにかく現場に行ってほしい。
大飯原発の次に再稼働させるのは伊方原発だろうと言われている。
確かに遠い。だけど僕はまた休みが取れれば駆け付けようと思っている。
そして今度は共に抗議行動をした仲間から電話があった。
大学時代の親友だ。
「おれ正直めちゃめちゃ怖かったよ」と話すと
「おれも怖かった」という。
意外だった。怖くないからつっこんでいけるのだと思っていた。
僕はバリケードが出来てから駆け付けたけど、彼は前のりしてバリケードを作った張本人。
検挙は覚悟だったという。
震えた。泣けてきた。
彼と僕では覚悟が違う。
そしてまた思った。やっぱり無責任に直接行動に行ってとは言えない。
そんな責任は僕は負えない。
基本的に警察はこちら側が手を出さなければ何もしてこないから大丈夫なんだけど、可能性はゼロではないし、何かのはずみということもありうる。
これはもう自己責任だ。
とにかく行ける人が行くしかない。
それは人の優劣じゃなくて それこそ人の質の問題だと思う。
僕は自分のことを「行ける側の人間」だと思った。
行ける人間は行かなきゃいけない。
今日もまだ仲間たちが戦っている。
この問題に対してどこまで踏み込んでいくかは全て自分の問題だ。
だけど「そんなことが起きてたなんて知らなかった」という言い訳だけはもう止めよう。
テレビも新聞もよく見れば報じている。
僕もフェイスブックやツイッターで逐一報告している。
もし知らなかったのだとしたら、それは「知らなかった」のではなく、「知ろうとしなかった」という自分の選択なんだということを皆が分かっていてほしいと願う。
とは言え、ここまで文章を読み進めてくれた人はもうすでに「知ろうとしている人間」だと思います。
本当にどうしたらいいのか分からない状態がこれからも続くと思いますが、出来うる限りのことを頑張ってしていきましょう。
今日は、現場で頑張るソウルメイトの無事をひたすら祈ります。
これからも頑張っていこう。再稼働されてもまだ再稼働に反対。
合掌。
(転載終了)
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どんなに危険でも原発を止めるわけにはいかない人がいる。
常識的に考えても原発を反対する気持ちがない日本人はいない。
色々な理屈をつけて、仕方ないと諦めようとしている人がほとんど。
日本が一瞬でなくなろうと、日本民族が滅亡しようが・・
停電で命を落とす方々、停電で倒産する中小企業の方々を思えば・・
日本がなくなるなんて夢物語。
停電の被害の方が実害。
長期的な視野を持つことはできなくなった日本人。
CMは15分ごと。
集中力は15分しか持たない。いや、もたせない。
そんな英才教育を受けた人が、どうやって長期的な視野を持つことができようか・。