小出さん

放射能に多少の関係はなく危険なもの。

日本はそういう国になった。

老人は、気にせず福島産を食べるべし。

基本的に、放射能は希釈。

 

・・という考えのようですが・・

 

やはり、日常生活でおじいちゃん、おばあちゃんだけ福島産の野菜を食べて、

孫は違うところの産地の野菜を食べるなんて、有り得ない。

非日常だ。

 

それによって、苦しむのは・・結局福島の農家の方々。

潤うのは・・なぜか儲かっている輩・・

 

農家の婿さんのブログを読むと、決して福島の農家を応援することにはならないようだ。

厳密に言えば、なっているのだろうけど・・

中間マージンじゃないけど、そっちの方が取られすぎ・・

一体誰を応援しているのか分からない。

 

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原発反対」というだけならサルでもできる。
事実、小出だけでなく多くの人たちが原発反対のためにさまざまな言論活動、デモなどをやってきた。なにも小出一人がやってきたことではない。
それはともかく、大事なことは「なぜ?」原発に反対するかということだ。
原発に反対するための反対ではない。
原発に反対するのは、それが事故を起こしたときの人間や自然への影響が甚大だからだ。
ストレートにいえば自然や人間の命が大事だからだ。
もっとはっきりいえば、公平にすべての命あるものすべて、子どもも老人も大臣もホームレスもすべて含んだ大きな枠組みでの人間の生命への愛おしさから原発に反対するのだ。
そうでしょう?

もし小出が人の命を無差別公平に大事にしたいから原発に反対してきたのなら、絶対に言えないことばがある。
それは「年寄りに汚染食品を食わせろ」という意味合いの発言だ。
小出はそこまで言っていないというが、それが政策として実行されたときは人間の生命の在り方に段階を設けるということだ。

これがどれほどおぞましい思想であるか、きみたちはまったくわかっていない。
人の命を救うために原発に反対するものであるはずが、それがいつのまにか、農業を救うために年寄りの健康を犠牲にしてもやむをえないという思想を敷衍している。

小出の不用意な発言はこの先、世の中の動きとして老人差別や老人排斥の動きが出てきた場合、致命的なものになる。
いったい小出は何のために原発反対を叫んできたのか?
あまねくすべての人々の命を救うためじゃなかったのか?

いまここで福島の農業を救うという一地域の一生産者のために「老人」という存在を犠牲にするのもやむをえないなどというならばそれはかれのこれまでの発言をすべて無に帰するものだ。
小出は単にイデオロギー共産党などの主義主張)のために原発反対を唱えてきたことになる。口先では「子どもの命」などといっているが、やっていることは正反対の人殺しだ。

小出は汚染瓦礫も全国で受け入れよという。
しかしこれも老人に汚染食品を食わせろという主張と同じく、現実をまったく無視した暴論である。
いまのところ汚染瓦礫を無化して焼却する施設などありえない。ありえないものを前提に話すと、よろこぶのは政府東電だけだ。
もちろん汚染食品を老人に食わせるという発言も政府東電の喜ぶところだ。

大事なことは「原発反対」の掛け声ではない。もうその「反対」する根拠は、実際に起きてしまったのだ。
いまは実際に起きてしまった惨劇にどう対処するかだ大事なのだ。しかし、その現実問題に小出はまったく愚かな発案ばかりをしている。
かれの発案が万が一政府によって強制されたら、多くの老人たちが阿鼻叫喚の精神状態に追い込まれる。
子どもだって同じ。子どもと大人をわけることはできない。事実として子どもと大人は不可分だ。同じものを食う。これが人間のリアルな生活だ。

小出の原発事故への発言はすべて結果として人の命を縮小させる方向性しかもっていない。「原発反対」はサルでもいえる。そして原発事故が起きる前ならそれはいくらでも語ればいい。しかしおこってしまったときはできるだけ多くの人を無差別に生き延びるように策を練り、政府の暴走をとめさせることだ。

小出は政府の喜びそうなむちゃくちゃな発案しかしてない。
かれの発案が実地されれば多くの人が死ぬ。精神的にも肉体的にも。