天が何かに目覚めさせようとしていながら

最近、古事記に書かれた天照大御神須佐之男命の逸話を、あちこちでお話しています。
八百万の神々を目覚めさせるために、須佐之男命はあえて泥をかぶって田んぼの畦を壊したり、水路を埋めたりするのですが、それでも神々が目覚めない。
そこで裸に剥いた天馬を織部の女官たちがいる神殿の屋根から投げ込んだところ、織女が機織りに使う木器の梭(ひ)で陰部を衝(つ)いて死んだという記述が古事記にあります。
このことは、天が何かに目覚めさせようとしていながら、人々が目覚めないとき、そのしわ寄せが必ず女子供など弱い者に来るということの、ひとつのたとえではないかという気がします。

当時の日本は、国内においては政治家が自分の選挙区に鉄道や道路を敷設して票を集めることに躍起になり、また国会は政友会と民政党の二大政党がぶつかり合い、そのために国内では派出所が政友会系と民政党系の二つが同じ街にあったり、あるいはどちらかへの政権交代のたびに、駅の看板が右から書く、左から書くと書き換えられたりしていました
つまり、当時の議員たちからすれば、票にならない外地のことなど、いかに邦人が酷い目に合わされようが他人事だったし、国内政治は内向きの政争ばかりやっていて、まったく国際情勢や、民衆の平和と安定など省みられない状況が続いていたのです。

その様子は、大雨や土砂災害、地震等が相次いで起こりながら、すでに老朽化して耐用年数さえも過ぎている建物や橋梁、トンネルなどの補強工事や再生工事といった国家の大事をまったく省みることなく、森友だの加計だのと、はっきりいってくだらない議論に終始しているいまの国会の状況によく似ています。

戦前は、こうして通州事件が起こり、結果として日本はシナ事変、そして大東亜戦争へと突入していきました。
それはまるで天照大御神が岩屋戸にお隠れになり、天地が闇に覆われたかのような事態でした。
そして日本は敗戦し、いまではすっかり、ありとあらゆる難事が、あたかも古事記に書かれた「狭蝿なす満ち」といった状況に至っています。

古事記では、そこでようやく目覚めた八百万の神々が、会議を開いて天の岩屋戸を開き、以後、責任をもって政治にあたるようになるのですが、いまの日本はどうでしょう。
すでにミニ・通州事件は毎日のように国の内外で起きています。
そして当時と同じように電車が停まり、日本社会の安全性や安定性、時間の正確性は、すでに大きく損なわれつつあります。
それでもまだ日本は目覚めないのでしょうか。
目の前で、もっと大きな通州事件の再来でもなければ、日本人は目覚めることができないのでしょうか。

シナの動きは早いです。
かつて事件のあった通州城は、いまではすっかり様変わりして、近代都市に生まれ変わっています。
上海の街も、いまでは原発による夜間のライトアップによって、夜の上海は、まるで超近代的な未来都市のようです。
歴史はすっかりかき消され、シナ人からみると、日本の都会はすでに、前近代的な田舎町です。
物価もシナより、はるかに日本が安く、シナの都会からみたら、日本の大都市は、すでに後進国発展途上国)の町並みでしかありません。

そしてそのシナは、巨大な客家集団によってすでに世界的なネットワークを構築し、世界の主だった諸国の大統領府や与野党に介入し、映画の世界にも客家資本が入り込んでいます。
内輪もめをしている間に、日本はとっくの昔に世界の潮流から、経済的にも文化的にも政治的にも、置いていかれてしまっているのです。

通州事件は、事件が起きる2年も前から周到に計画され、準備し、実行に移された事件です。
そしてその背後にあったものは、実はシナ共産党でも国民党でもなく、アヘン利権を日本軍によって潰されたシナ商業資本による恨みによる工作です。
彼らは、政党・国家・敵味方に関わらず、どこにでも入り込み、長い年月をかけて仕込みをして世界に向けて大きな影響力を確保します。
そしてそれは、実は、いまもそのまま続いている工作活動であるといわれています。
利益の前には、人の命など屁とも思わない。
そういう集団が、実は背後にあります。

通州事件の惨劇を読んで、ただシナ人への怒りを駆り立てるだけでは、はっきりいって歴史を学んだことにはなりません。
日本のみならず、世界の民衆にとって、ごく一握りのひとがカネと贅沢三昧な暮らしを得、そのために多くの人々の生命財産が平気で蹂躙されるという世界が理想世界なのか。
それとも民衆こそが人類のタカラとされる社会こそが大事なのか。
そしてそれを阻害してきた人たちというのは、いったいどのような人たちであるのか。

通州事件を学ぶということは、二度と私達が同じ悲劇を招かないということだけでなく、そもそも日本人とは何かを学ぶことなのではないかと、私は思います。
もちろん下手人は許せませんが、下手人だけを捕まえても、それはただの下っ端にすぎないのです。
その考察を深め、かつ行動したとき、はじめて、事件で犠牲となられた方々への追悼になるのだと私は思います。

http://nezu621.blog7.fc2.com/

----------------------------------------------