今村復興大臣が更迭されたけど・・

石打ちの死刑とされた女がいた。石を投げつけようと集まった市民にイエス・キリストは言った。「あなた達の中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい」と。これを聞いて、誰も女に石を投げることができず、市民らは引き下がったという。

「うちじゃなくて本当によかった!」

「東京(等臨海大都市)だったら日本終わってたな!」

大震災が発生してから今まで、被災地以外の地域に住む人々は、上記の様なことを一度くらいは思ったことがあるだろう。「そんな不謹慎なことは微塵も考えたことございません!」と言い張る人もいるだろうが、そいつは嘘つきとか詐欺師の類だ。

思わないわけがない。人間とは、何か大きな不幸が発生したとき、それが自分に関係ないと知れば安心する生き物であり、関係ないことを知って安心したい生き物であり、関係ないことを知らせて安心させたい生き物である。それが人の心理だ。

だから、海外でテロ事件が発生すれば、マスコミは「日本人の被害は報告されていません」と伝える。飛行機墜落事故ならば、ニュースキャスターは嬉しそうに「乗客に日本人は、いませんでした!、いませんでした!、いませんでした!」と言う。

それを聞いて、人々はホッと胸をなでおろす。犠牲者数も被害規模も同じなのに、関係ないことを知って「日本人が含まれてなくて良かったぁ」と安心する。

今村復興大臣が更迭された。

東日本大震災について、「東北で良かった」と言ったからだ。東京なら復興不可能な莫大な被害額となった可能性あり、復興可能な金額規模だったという意味で「東北で良かった」と述べ、これが「被災者を軽視する心無い発言」と猛烈な批判を浴びた。

この件について、メディアは被災者の怒りの声を積極的に報じている。メディア自身も猛批判しているし、民進党ら野党はもちろん与党自民党内でも批判の嵐だ。

確かに、今村大臣の発言はよろしくない。悪意はなかろうが、「不幸中の幸い」的なニュアンスが含まれているのは間違いなく、それが被災者感情を傷つけることも間違いないわけで、発言は明らかに不適切だったと言う他無い。

でも、だからといってよってたかって批判するのはどうなのよ。批判している人々だって、おそらく全員が同様のことを思ったことがある。東日本大震災の被災者も、熊本地震が起きたときは「今回は東北じゃなくて良かった」と思ったのではないか。

自分のことを棚にあげ、うっかり口を滑らした人間を総攻撃するのは卑怯で醜い。それに、「東北でよかった」という思いと、復興に係る情熱量や寄り添う気持ちの度合いはリンクしない。それは別感情であって、色んな感情が同居するのが人間だ。

今村大臣を批判するなとは言わないが、あの一言で人格全否定はやりすぎだろう。節度ある批判が求められるのではないか。自分に今村大臣の発言を批判する資格があるのか、みな胸に手を当てて考えてみるべきだ。

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学校の遠足で、雪崩にあった。
通学路に車がつっこんできた。

死亡者、重傷者、軽傷者、無傷。

自分の子が、無傷であれば、喜ばない親はいない。

そのニュースを見ていて、自分の子ではなかったことに
安堵しない親はいない。

それは、批判されることですか?

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死亡された子を悼む気持ちと
自分の子の無事を喜ぶ気持ちは
同時に存在するものだと思う

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大臣の言葉の揚げ足を取る人は、
まさに、自分の中に喜ぶものがあるのであろう

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記者の質問の仕方を見れば、一目瞭然

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そんな醜い記者を、醜いを言うシステムがないなんてね
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まるで裸の王様

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もうね。
言わなくても、みんな分かっている時代に突入したよ

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だから、テレビの視聴率なんで下がる一方じゃない

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新聞とってる家庭も減る一方

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いくら反安倍勢力が煽っても
自分の首を絞めるばかり

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自分の家の火事と
赤の他人の家の火事。

全く、完全に同じに感じれる人がいたら
神だろうね

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そんな人。
毎日の悲惨なニュースを見ていたら
発狂すると思うわ

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