恐喝によって押しつけられた憲法9条

わが国は伊藤博文らが苦心して作った大日本帝国憲法の下、当時としては先進的な立憲君主制国家でした。ポツダム宣言も「民主主義的傾向ノ復活強化」と、わが国に民主主義があることを前提にしていました。

しかし米国にとっては「民主主義対ファシズムの戦い」としてたたき潰したわが国にもともと民主主義があったという事実は都合が悪く、自分たちによって民主主義国家にしたことにしなくてはなりませんでした。

 マッカーサーマッカーサーノートと呼ばれる憲法改正の原則をGHQ民政局長の陸軍准将コートニー・ホイットニーに提示しました。ホイットニーはこれを基にした憲法改正草案の作成を課長(後に次長)の陸軍大佐チャールズ・ケーディスに指示しました。

 ソ連への協力者やニューディーラーと呼ばれる社会主義者が入り込んでいた米国民主党政権ですが、GHQ民政局は特にそうした傾向の人物で占められ、ケーディスはその代表格でした。彼らは自分の国で実現できない社会主義的な政策を他国の憲法を変えることで実験したのです。



シロタによると、このときホイットニーはマッカーサーノートを読み上げた後、自分たちの案を日本政府が受け入れない場合は「力を用いると言って脅すだけではなくて、力を用いてもよいという権限をマッカーサー元帥から得ている」と、軍事力を使ってでも憲法を押し付けると宣言しました。


サンドイッチをかじりながら徹夜したメンバーは、12日までのわずか9日間で英文のマッカーサー草案を作りました。

ホイットニーはこう言いました。「われわれは戸外で原子力の起こす暖を楽しんでいるのです」

 まだ広島、長崎への原爆投下の記憶が生々しいとき、「原子力」を口にするのは威嚇以外の何物でもありません。このB29は事前に指示されて外相官邸の上空を飛んだのです。吉田らを脅すための仕掛けです。


受け入れなければ昭和天皇の身柄は保障しないと脅したのです。

18条に「何人も、いかなる奴隷的拘束も受けない」とあります。「奴隷」と言われても、当時も今も日本人には実感がありません。かつて奴隷がいたのは米国です。
 米国人が自分たちの感覚で憲法を作ったからこうなっているのです。

米国の奴隷制度は、欧州諸国より何十年も遅れて1865年の合衆国憲法修正13条で公式に廃止されましたが、ミシシッピ州は実に148年後の2013年まで正式承認しませんでした。


戦時国際法のハーグ陸戦法規は「占領者は、絶対的の支障なき限り、占領地の現行法律を尊重し」と、戦勝国だからといって敗戦国の憲法を変えてはいけないと規定しています。
 米国に押し付けられた日本国憲法なるものは、憲法としては本来無効なのです。

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酷いことをした人は、きっと幸せにはなれない。

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アメリカは、ハンバーガーにコーラで、肥満だらけ。


学校はいつも銃で襲われる。


親は、子供から一時も目を離してはならない法律があるような
治安の悪い社会。


戦勝国なのに、まるで地獄。

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本当に。
健やかさが全くない。

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