【大川小】11人いた教師も10人が死亡しているのに・・

東日本大震災が発生したとき、宮城県石巻市立大川小学校には11人の教師がいた。大川小学校は海から4キロ離れた場所にあり、ハザードマップでは津波到達地域から除外されていた。だから、津波を前提とした避難訓練も行われていなかった。

大川小学校には、児童以外に近隣住民も避難していた。津波避難場所に指定されていたからだ。が、想像を超える高さの津波が発生し、それらの人々はほぼ全滅した。

11人いた教師も10人が死亡し、残った1人は精神を壊し引き籠もっている。


これら犠牲者に対し、「津波は予見できた」、「愚かだから死んだ」、「自業自得だ」などと批判するのは理解し難いだろう。

「お前が津波を予見しなかったから他の人も死んだ!」、「この人殺しめ!」と、犠牲者や関係者に謝罪と賠償を求める人も居まい。

普通は。しかし、現実はそう単純ではないらしい。

大川小では70人あまりの児童も津波の犠牲になったが、犠牲者の内の3割ほどの親達が、「我が子が死んだのは教師らが津波を予見しなかったからだ」、「当時の状況・真相を説明しろ」等と訴訟を起こしていた。賠償請求額はおよそ23億円だ。

先日、仙台地裁が判決を下した。「津波は予見できたはずだから学校と教師が悪い、生徒の犠牲はお前らのせいである、賠償金14億円を支払うべし」と。これを聞いて、みなさんはどう思われるだろうか。no-risuは、「正しくない」と感じる。

遺族側を一方的に批判する気は無い。「子を亡くした苦しみを理解出来る」とは言えないが、想像することは出来る。他人に責任を求めたり、死に何かしらの意味を見いだすことで、苦しみが緩和するのかもしれない。そうせずにはいられないのかもしれない。

だが、それでも、犠牲になった教師らに責任を被せ、裁判所に断罪させ、巨額の賠償金を支払わせる行為は、何度考えても「正しくない」と感じる。教師も児童も、どちらも同じ震災の犠牲者で、「どっちが悪い!」何て議論は間違っている。

後付けでなら何とでも言える。仙台地裁は「教師は津波を予見できた」としたが、それは可能性の話にすぎない。そんなことを言い出せば、「児童の親は、教師が津波を予見できないことを予見できたはずである、よって親が悪い」なんて理屈も成り立つ。

勝訴判決を受けて、原告が掲げた紙には、「勝訴!子供たちの声が届いた!」と書かれていた。たぶん、子供達はこんな裁判を望んでいない。普通に考えれば、親と教師が泥沼のケンカをする姿を見せられて、それに喜ぶ子供は居ないと思う。

報道を眺めていると、原告勝訴の判決もあってか、「児童と親は大川小学校の被害者」、「学校と教師が悪い」のニュアンスが強い。ズバリその様に書かれている記事も見る。それが「遺族に寄り添う報道でございます」と言わんばかりだ。

でも、それは違うでしょ。どちらも震災の被害者だ。裁判で負けたからといって、大川小学校と教師を悪者にするべきではない。


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