東京都議会のトップは、中卒で山口組系だなんて


高校中退後は、山口組系の飯島連合会の一員として活動した

仲の良い家族だったが、火事のため一家離散した[2]。内田は28歳になっていたが、2つ下の弟には障害があり、ひとりで自活することはできなかった[2]。途方に暮れていた時に手を差し伸べてくれた安井謙(後に参議院議長)と東京都の福祉制度に出会えたことが政治家を志すきっかけとなった[2]

都議会のドン

毎日新聞によると、2016年までの十数年間にわたって、都庁幹部が内田に重要な条例や新規案件を事前に報告するなど、内田を中心に東京都政が回ってきた実情があるとされており[5]、政治評論家田崎史郎によると「都議会のドン」と呼ばれているとされる[6]。また自民党東京都連の幹事長を長年務め、東京都知事選挙東京都議会議員選挙等における立候補者の公認権を事実上握っているとされており、元東京都知事猪瀬直樹は、内田について「国会議員より大きな発言権を持つ」「さまざまな利権が彼を通さないと進まないようになってきている」「いじめられて自殺した都議もいる」と指摘している[7][8]

樺山卓司の自殺

第15第内務大臣・初代台湾総督樺山資紀の曾孫にあたる、元東京都議会議員樺山卓司は、2011年7月1日未明にポリ袋をかぶって自宅で自殺した。

自殺から1年後、妻である京子の部屋からのし袋に書かれた遺書が見つかり、そこには「内田、許さない。人間性のかけらもない。来生で必ず報復します」等と記載されていた
[9]

東京都知事猪瀬直樹は、2016年7月13日NewsPicksで〈猪瀬直樹が語る「東京のガン」〉と題した記事を投稿し、

自殺した樺山卓司都議を追い込んだのは〈内田氏にあります〉」と言及した。また、同日には樺山都議の遺書と思われるのし袋の写真を猪瀬が自身のTwitterに投稿した[10]

wikiより
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内田茂
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