社会主義の勝利を声高に叫んだ東京都知事、美濃部亮吉
在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)関係者によると、社会主義者を自任する美濃部は46年の秋、訪朝して金日成と2回も会談している。美濃部は一連の会談で社会主義下の平壌の現状を引き合いに出して、「資本主義の負けは明らかである」と断じたという。
このとき、美濃部は43年に政府・自民党の慎重論を押し切って、同大を各種学校として認可した実績も“手土産”として持参した。各種学校として認可され、同大は固定資産税の減免措置など財政的なメリットを享受することになった。
認可前の同大は34年に東京都小平市に移転する際、トランジスタラジオ製造工場の建設と偽装して、周辺住民の反対運動を封殺。さらに朝鮮総連は「民族教育は基本的人権だ」「学術研究の機会を奪うな」と主張して、認可実現に向けた大キャンペーンを展開。これに美濃部が応じたのだ。
金日成は51年、同大の代表団と平壌で面談すると、「朝鮮総連が敵と堂々と戦えるのは、基地である朝鮮大学校を通じ、絶え間なく幹部を養成し続けているからだ」と満足げだったという。美濃部の“援護射撃”で同大の財政が安定し、結果的に総連幹部の育成が進んだ。
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大卒だけど、こんなこと知らなかった
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今となっては、ただの職業を表すだけという士農工商を
差別的な社会だと、みっちり教えられたけど、
これは、全く知らない
町名主や庄屋の言う事を聞かなかったら、人別帳から外れて非人になってしまったようですね。必ずしも、武士が全ての権力を持っていたわけではない例です。
公家や僧侶、神官、穢多非人は特殊領域で、差別とは違うものです。実際「穢多頭」や「非人頭」はそこらの大名より金を持っていました。武士が何でも かんでも偉ければそんな奴らは生まれなかったでしょう。ちなみに、いまは偉そうにしている奴の多い職業である「医者」も、死人を扱う穢れ者という扱いで、 社会的地位がやたら高いわけでもありませんでした。
ただ、武士以外は教養が無かったらしくて、行政機関には武士でなければ無理だったようです。今で言えば、IT成金のバカ息子はまともな教育機関に入れなかったようですね。
サヨクも右翼も、江戸時代は差別に満ちたダメな時代にしたいらしいですが、最近の研究で差別の少ない時代だということがバレています。
時代劇がインチキすぎるんですよね。
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その思想が舛添に通じるわ
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