少子高齢化問題解決の秘策は「人生50年」にあり!?:学者より職人では?

少子高齢化問題解決の秘策は「人生50年」にあり!?:学者より職人では?



みなさん、こんにちは。

今日は教育の話題をメモした、これまたついでといっては変だが、少子高齢化の問題やら、労働力不足の問題やらを解決する策についてメモしておこう。もちろん、まったく私個人の独断と偏見に基づくアイデアだから、大方の常識人にはちょっと眉唾ものに見えるだろう。だから、そういう人は立ち去れい。


麻生太郎さん、私はこの人の顔はあまり好きではない。しかしながら、私はこの人のものの見方は非常に良い所があると思う。だいぶ前に麻生太郎さんが自著で提案したアイデアにかなり本質的なものがあると私は思うようになった。別にいま選挙前だから自民をヨイショとか、ミンス下げとかそういう意味ではない。単に、麻生太郎さんのアイデアは今後を先取りしたものだった可能性が高い。だからメモするのである。誤解なきよう。

(あ)まず麻生さんの質問:だれもが大学に行くというのはいかがなものか?
麻生太郎の「とてつもない日本」:「私は劣等生だった」

麻生太郎
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とてつもない日本
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この「とてつもない日本」という本の中で、麻生太郎さんは、
だれもが大学に行くというのはいかがなものか?
と問うた。

私の最近の考えでは、ここに子供を増やしたり、少子高齢化を止めるための鍵があると思う。

(い)人生の捉え方がすべてを決めるのではないか?
実は私が言うまでもなく、この少子高齢化の問題は、まさに人生というものをどう考えるか、どうとらまえるかに依存している。

「人生50年」と考えるか、「人生80年」と考えるかが分かれ道となる。

いまはマスゴミやら政府官僚など腐れきっているために、一般人のB層(=おバカ層、電通命名)は、だれもが人生80年、すなわちだれもが80歳までは十分に生きるものと考えてきた。

しかしながら、それは間違いだ。私は自分が子供を作り、その子たちを育て、幼稚園、小学校、中学校、高等学校とずっと主夫として育ててきた。この仕事に関しては、まったく女性の専業主婦と同じ、炊事洗濯掃除すべてを自分の義務として行ったのである。

それ以外に、空いた時間で自分の理論物理学者としての仕事である研究もずっと行ってきた。幸い、私の父方の井口家は睡眠不足に強く(酒はだめらしいが)、私は酒にも睡眠不足にも強い。だから、いまでも平均睡眠時間5、6時間でOKである。それゆえ、起きている間はこうして何かの作業をし、炊事洗濯、ジョギングをしても少しも問題ないという生活を続けてこれた。

この約20年の間に我が家の子供達の同級生たちを通じて、その親を観察してきた。そうやって子供の成長と同時に我々大人の成長やら老化やら衰退も見てきている。

すると、すでにいっしょに幼稚園に入学した中の親で何人も若くして死んでいるのである。彼らの人生はせいぜい長く見ても30台〜40歳程度ということになる。もちろん、ガンや事故で死んだのである。

方や、健康で病死も事故死もない普通の人達も観察してきている。

私が子供時代に私が子どもとして親を通してみた大人たちの老化の記憶、そして、今度は私が大人となって親となり、学生時代に友達だった人たちの成長と老化、親の世代になっての成長と老化、そしてこれからは私が老人となり、今度は子どもたちが結婚して子供を作り、私にとっての孫の世代ができれば、それを観察できるだろうが、そういうもの。

こうしたものから私が出す結論は、
大半の普通の人は人生40年。よくて50年だ
ということである。それ以後は、余生にすぎない。

これはどういう意味かというと、男なら40歳で、もうその人が若かりし日々にやろうとしたり、できたことが、もう何もできなくなるということである。つまり、実質上の寿命=社会的寿命は40歳〜50歳だろうという意味である。

40歳以降元気に生きているが、それは生活しているだけ、生きているだけのことにすぎない。実質上は死んでいるのだ。あとは生物学的死に至るまで、ただ無駄飯食いとして生ているに等しい。なぜなら、40歳以前に行えたような何か本質的な進歩や創造的なことができないからである。もちろん、例外は多々あるが、例外は例外である。

女性とて同じだが、実際にはもっと早そうである。事実、女性の場合、いっとき倖田來未さんが「女は35すぎれば、子宮が腐る」というような事を言ってマスゴミから大顰蹙を食らったが、これは事実に近い。実際に、子宮内の卵巣は35歳あたりで急激に劣化するのである。したがって、障害児を生む確率が高まるのは事実だからである。だから、女性はできれば、早く結婚する方がよろしいのである。

50過ぎ、60過ぎて、毎日やることは、犬の散歩やら、ウォーキングやら、庭の手入れだとか、家庭菜園で野菜をつくるとか、そんなことだけして生きているとすれば、もはや死んでいるに等しいと俺は思う。なぜなら、これはいつでもできることだからだ。つまり、来年できることを今やっているだけだとしたら、来年まであんたは死んだに等しいのである。

やはり生きている以上、新鮮味、新しさ、クリエイティビティー、繰り返しのなさ、つまり、単純に言えば、「成長」がなければならない。

女性に関していば、人にもよるが、本当に40過ぎればただのおばさんである。若い頃は性欲もあり、色気も出していたお母さんたち、ひょっとしてあの子の美人お母さんとちょっと間違いでも起こそうかと思わせたような女性でも、40過ぎればがらっと老化するのである。いつしか、普通のおばあさんに変わる。特にここ徳島の田舎の母親なんかは100%そういう人ばかりだ。

そんなわけで、昔の日本では、織田信長が「人生50年」と言って有名な話だが、これは実質上今も同じだろうと私は見るのである。昔は医療が悪かったから本当に50歳で終わるものが多かったが、今は医療で何とかなるから命は長くなるが、人生という意味ではやはり50年程度なのである。私はそう考えるようになったのである。

一般の日本女性が40歳でおばあさんになるとしよう。だとすれば、いつ頃に学校を終えて、職場に入り、そして結婚したらいいのか?

そういうふうに考えることができるだろう。人生80年でおばあさんになると考える場合と、結果がかなり違うはずである。このことを言っている。

今の学校制度で22歳で大学を卒業したら、女性はあと18年でおばあさんになってしまうのである。たったの18年だよ。その後結婚したら、あと10年でおばんですよ。こうなると、女性が美しく一番華が咲いたようにいい香りのする頃、まだ学生をしているのだ。なにかもったいない気がするわけである。ヘタをすれば結婚して出産したら即病気になって死ぬ人もでるのである。これが戦前のように、女性が16歳で結婚すれば、20までに子供を産んでも、まだまだ時間がある。人生をエンジョイできるかもしれないわけである。男性とて同じことである。

(う)少子高齢化の解決策は?

ここで、最初の麻生さんの問いが意味をなす。つまり、いまの民主党やら共産党やら日教組は自分の仕事がほしいから、何が何でも大学までだれもが出るべきだと主張する。彼らは人間の実質上の寿命や社会的寿命を考慮しないしできない。このやり方が間違いだろうということである。

勉強が嫌いな人や普通の人はむしろ高校大学など行かないで、中卒で16歳頃に社会に出てそのまま職人さんや漁民や農民になった方が良いのではないかということである。ひょっとしたらそのほうが良いのではないか、幸せなのではないか?そういう問題が出るのである。

実際に、「金の卵」として社会に出た方が重宝がられるのである。なぜなら、熟練技術者になるには早ければ早い方がいい。仮に16歳で入門したとしても、一人前になるには10年から20年、さらにそれ以上かかるからである。いまは高度技術者がいない。それはこれが理由である。

また、16歳から26歳くらいになるまで仮にお弟子さんだったとしても、10年20年の間「安定した職」につけるというのは強みである。結婚して子供を育てるためには、最低でも10年普通は20年の安定した職、経済的安定が必要である。さもなくば、子供が成人するまで面倒見ることができない。

現在の問題は、大半の職を非正規雇用という欧米のイルミナティーの思惑通りのものに、小泉純一郎竹中平蔵の「狂牛病の方針」で変えてしまったからである。この結果、若者たちが生活の安定が望めず、結果として結婚できず、四苦八苦してきたのである。その結果、少子高齢化が進んだわけだ。小泉と竹中がいまだに生きていられるというのが不思議である。

即刻「正規雇用は違法行為とすべき」である。日本にはそのくらいの財源はある。なぜなら、在日韓国人在日特権で毎年2兆数千億円が消費されているからである。キチガイ民族の害人につぎ込む金が全部で5兆円近くある。これを日本人の若者につぎ込めば、いくらでも夢のようなことができるからである。

一方、子育てにはお金も労力もかかる。出産にはエネルギーも必要だ。やはり結婚出産は若い内がいい。こう考えれば、相手の男性が16歳程度で職人として社会に出ていれば、それに応じて女性の方も16歳くらいで社会にでるか、結婚した方がいいということになる。

というわけで、勉強が好きで将来学者になるとか、医者になるとか、政治家になるとか、そういう人は高校大学を出て、大学院へ行くというリスクを冒すのもいいが、普通の人は、手に職を付けられるように、かなり早くから15〜16歳位で社会に出て職人に弟子入りできるようになったほうがよほどいいのである。

私の例を見るまでもなく、また理研STAP細胞疑獄事件を見ても分かるように、大学大学院行って博士になったからといって特別に良いということはない。ノーベル賞たってせいぜい数千万円にすぎない。いまでは立派な寿司職人になれば、全世界から引っ張りだこである。また和紙職人はバチカンやら全世界の考古学会から重要視されている。まして左官業やさまざまな技能者は、第三世界発展途上国では重宝されるのである。

仮に大学院を出て理論物理学者になったところで、私や保江博士の程度のものだ。素粒子物理学なんてやったら、超ひも理論だのほとんど精神分裂病の世界である。そんなものになるくらいなら、よほどソムリエとか、日本刀の技術者にでもなった方が世界が喜ぶのである。いまや全世界の人が日本の伝統技術を学びたがっているからである。

大工さん、左官さん、寿司職人、刀鍛冶、鍛冶屋さん、などなど

こういう職人さんの世界に早くして入るほうが少子高齢化にも公的教育費の経済性からも日本人にとってよほど健康的といえるのではなかろうか?

どうやら麻生さんはこういうことを言いたかったらしい。私も100%賛成するね。
http://quasimoto.exblog.jp/22601912/
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人生50年か、80年か・・・