阪神教育事件とは・・・
阪神教育事件(はんしんきょういくじけん)
1948年(昭和23年)4月14日から4月26日にかけて大阪府と兵庫県で発生した在日朝鮮人と日本共産党による民族教育闘争、大規模テロ、逮捕監禁・騒乱事件で、GHQは、戦後唯一の非常事態宣言を布告した。
このころ在日朝鮮人の子供たちは、日本内地の教育により、朝鮮語の読み書きが充分にできなかったため、日本各地で国語講習会が開催され、文字と言葉を知ったものが先生となり、在日朝鮮人の子供たちに朝鮮語を教えた。教材は独自に作成された。国語講習会は在日本朝鮮人連盟(略称は朝連)事務所や工場跡地、地元の小学校校舎などを借りて開かれた。その後、国語講習会は朝鮮人学校に改組され、学校は全国に500数十校、生徒数は6万余人を数えた。
同年1月27日、朝連は第13回中央委員会を開催し、朝鮮学校閉鎖令に対し反対を表明した。さらに、「三・一独立運動闘争記念日」に合わせて、彼らの主観における「民族教育を守る闘争」を全国で展開するように訴えた。
具体的に大阪では・・
15時、在日朝鮮人や日本共産党関西地方委員会の日本人など7000人余の中から、シュプレヒコールが起こった。50人余の青年が行動隊を編成し、スクラムを組んで大阪府庁前の阻止線を組織的な暴力を駆使して突破した。
15時30分、行動隊に続いて、在日朝鮮人や日本共産党関西地方委員会の日本人など7000人余も大阪府庁に暴力で突入し、3階までの廊下を暴力で占拠した。副知事は警察官の誘導により、戦時中に作られていた地下道を通って脱出した。
17時ごろ、群衆は知事室になだれ込み、ドアや調度品を破壊するといったテロ活動をした。
その後、在日朝鮮人や日本共産党関西地方委員会の日本人らは、武装警官隊と乱闘となり、在日朝鮮人のうち1人が死亡、20人が負傷した。警官側の負傷者は、それを上回る31人だった。179人が騒擾罪で検挙された。
4月25日、朝連や日本人約300人が大阪南警察署に押しかけ、逮捕者の釈放を要求、脅迫した。
警官隊は、約300人に向けて威嚇射撃を行い追い返した。
4月26日、朝連は大阪東成区や旭区などで「朝鮮人学校弾圧反対人民大会」を開催した。
15時40分、別室に待機していた大阪軍政部のクレーグ大佐が、交渉の中止と、大手前公園に集結していた在日朝鮮人2万人の解散を指示した。
検挙者は軍事裁判にかけられ、日本人9人と在日朝鮮人8人が重労働4年以下の判決を受けた。
阪神教育闘争の指導者の一人であった朴柱範は逮捕・投獄され、釈放された直後に死亡した。