浅田真央が突いた評価論の本質

 私は浅田真央の大ファンである。彼女の競技が放映されたら電話には絶対に出ない。フィギュア・スケート・シーズンが始まると1日に1回は彼女の演技の動画を見る。おかげで知らぬうちにジャッジの採点シートもある程度読めるようになっていた。
 先週、福岡で開催されたグランプリ・ファイナルも当然のことながら、外界からシャットアウトされた状態でテレビを直視していた。(本当のことをいうと、ネットのほうが先に演技結果が発表されるので、こちらを片手に見ながらテレビをみていた。)

初日に行われたショート・プログラムの演技。浅田真央は、見事にトリプルアクセルを飛び切り、誰がみてもパーフェクトな演技を披露した。日本のアナウンサーのみならず、イギリスやイタリアの放送でも誰もが完璧にトリプルアクセルを飛んだと絶賛していた。しかし、ジャッジの採点結果をみると、アンダー・ローテーション、つまりトリプルアクセルを回りきれなかったと判断され、減点されていたのだ。採点結果をみた浅田真央は一瞬「またか」というような表情を見せたが、落ち着いた様子ですぐに笑顔に戻っていた。
 その後のインタビューで、彼女は、自分の中ではきっちりと回りきっていたと思うので、ジャッジがアンダー・ローテーションと判断したことについてあまり気にしていないという趣旨のことを述べていた。この言葉、評価の仕事に従事している者にとっては、とてもドキッとする発言である。スポーツにおいてジャッジというのは、ルールを体現する存在である。政策評価や大学評価でいえば、基準に基づき厳密に評価を行うことが求められる評価者と同じ存在である。そして、ルールとは、少なくとも民主的な社会においては、当事者や専門家あるいは関係者の間で共通の規範として合意の上で成立するものである。そして、採点結果や評価結果というのはこのルールに基づいて判断された結果であることは言うまでもない。
 ところが、今年世界で最も強いといわれる浅田真央は、自分の中ではきっちりできたので、ジャッジの判定結果はあまり気にしないと述べたのである。ちなみに男子で1位になった羽生結弦もジャッジの判定結果に「点数が出過ぎ」と語っている。

 国際スケート連盟や審判団はこの言葉を重く受け止めるべきだろう。なぜならば、ジャッジの判定やルールに対する選手の信頼が低下すれば、ある種のモラルハザードを呼び込んでしまう可能性があるからだ。
2013年12月11日 07:58
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ようやく真っ当な意見も出てくるようになったのか・。
 
視聴者としては、「またか」と思うとともに、そのフィギュア審判員への不信。
もう、とっくのとうにモラルハザードですから。
スポンサーのイメージダウン。
広告することで、不買運動される事態に気づかないのだろうか。
 
その中で、さらに光り輝く浅田真央