金子光晴さんの「奴隷根性の歌」
奴隷というものには、
ちょいと気のしれない心理がある。
じぶんはたえず空腹でいて
主人の豪華な献立のじまんをする。
奴隷たちの子孫は代々
背骨がまがってうまれてくる。
やつらはいう。
『四足で生れてもしかたがなかった』と
というのもやつらの祖先と神さまとの
約束ごとと信じこんでるからだ。
主人は、神さまの後裔で
奴隷は、狩犬の子や孫なのだ。
だから鎖でつながれても
靴で蹴られても当然なのだ。
口笛をきけば、ころころし
鞭の風には、目をつむって待つ。
どんな性悪でも、飲んべでも
陰口たたくわるものでも
はらの底では、主人がこわい。
土下座した根性は立ちあがれぬ。
くさった根につく
白い蛆(うじ)。
倒れるばかりの
大木のしたで。
いまや森のなかを雷鳴が走り
いなずまが沼地をあかるくするとき
『鎖を切るんだ。
自由になるんだ』と叫んでも、
やつらは、浮かない顔でためらって
『御主人のそばをはなれて
あすからどうして生きてゆくべ。
第一、申訳のねえこんだ』という。
ちょいと気のしれない心理がある。
じぶんはたえず空腹でいて
主人の豪華な献立のじまんをする。
奴隷たちの子孫は代々
背骨がまがってうまれてくる。
やつらはいう。
『四足で生れてもしかたがなかった』と
というのもやつらの祖先と神さまとの
約束ごとと信じこんでるからだ。
主人は、神さまの後裔で
奴隷は、狩犬の子や孫なのだ。
だから鎖でつながれても
靴で蹴られても当然なのだ。
口笛をきけば、ころころし
鞭の風には、目をつむって待つ。
どんな性悪でも、飲んべでも
陰口たたくわるものでも
はらの底では、主人がこわい。
土下座した根性は立ちあがれぬ。
くさった根につく
白い蛆(うじ)。
倒れるばかりの
大木のしたで。
いまや森のなかを雷鳴が走り
いなずまが沼地をあかるくするとき
『鎖を切るんだ。
自由になるんだ』と叫んでも、
やつらは、浮かない顔でためらって
『御主人のそばをはなれて
あすからどうして生きてゆくべ。
第一、申訳のねえこんだ』という。