バカにつける薬はなし 鳩山首相「発言のブレ」正当化に疑問を呈す

開き直れば、盗人にも1分の理だ。

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鳩山首相「発言のブレ」正当化に疑問を呈す

 鳩山由紀夫首相は、自らの発言のブレを批判されていることに対して、とうとう居直ってしまった。

 「民主主義の本質は揺らぎ」として、発言のブレを正当化し、奨励するかのように語ったのである。

 きわめて重大な発言なので、報道(3月12日朝日新聞)から要点を引用する。

「揺らぎは宇宙の真理」?
発言のブレは当然なのか
 「いろんな意見を聞きながら、揺らぎの中で本質を見極めていくのが宇宙の真理ではないか」

 「物質の本質が揺らぎ。地球も、宇宙というものの本質は揺らぎだ。人の心も人間も民主主義自体も」

 「全く人の意見を聞かなければ揺らぎがないかもしれませんが」

 これでは発言のブレがあるのは当然で、これからもブレた発言を続けていくことを宣言したとも受け取れる。

 この居直り発言は早期に撤回したほうがいい。なぜなら、これでは自ら首相の資格がないことを認めたことになるからだ。

“首相”という立場をわきまえて
発言・決断を行うべき
 重要な問題点をいくつか指摘する。



(1)まず、これで首相の発言はすべて信用できなくなる。

 なぜなら、「ブレる」ことに歯止めがなくなり、どんな発言も堂々とブレることになるからだ。

(2)首相という第1級の公的立場にあることを自覚していない。

 首相の発言のブレは多大な社会的影響を与える。市井の人ならともかく、首相の言動によって多くの人が被害や迷惑を受ける。首相の好きな言葉を使えば、そんな「国民の思い」をどう考えているのか。全く感知していない印象を受ける。

(3)首相の決断はブレることが許されない。

 首相発言は、すべてが公的な決断の明示である。大小さまざまなものがあるが、重要案件については、最終決断であるはずだ。

 首相だけでなく、誰でも心中、脳中は迷いがある。“揺らぎ”がある。しかし、確信を持てないときは表に出さない。心の中の揺らぎは人に迷惑をかけないが、表に出せば迷惑がかかるからだ。

 鳩山首相にも揺らぎがあってもよい。あるのは当然だ。だが表に出した発言、決断に揺らぎがあってはならない。彼は「民主主義」を持ち出したが、言葉が信用できなければ民主主義が成り立つはずがない。それこそ民主主義の本質だ。

 首相は、ひょっとすると叩かれるのは殉教者の宿命とでも思っているのではないか。そうだとすれば、それは途方もない勘違いである。少なくとも、歴史上の殉教者に、言動のブレはない。むしろ、ブレないために叩かれたのである。